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チャールズ・チャップリンの名言

世界各国からの多くの栄誉を受けた、世界的俳優「喜劇王チャップリン」。
時々、彼の言葉に勇気をもらえる。

チャールズ・チャップリン

チャップリンは、1889年にイギリス・ロンドンで生まれ、私が生まれた1977年にスイスで死去しました。

映画黎明期に数々の傑作を残し、「喜劇王」の異名でも知られる世界的俳優・映画作家。ミュージックホールの演者だった両親のもとロンドンに生まれ、5歳の頃から観客を前に歌う。8歳で旅芸人の一座に加わり、1913年の米国ツアー中に映画プロデューサーのマック・セネットと契約。以降「チャップリンの移民」(17)、「キッド」(21)、「黄金狂時代」(25)、「街の灯」(31)や「モダン・タイムス」(36)といったサイレント映画で監督・脚本・製作・主演を兼ね、決まって“リトル・トランプ”(小柄な路上生活者)の出で立ちで画面に登場する。初のトーキー作品となった傑作風刺コメディ「チャップリンの独裁者」(40)では、ヒトラーの独裁政治を痛烈に批判。賛否両論の渦巻く中、アカデミー作品賞など5部門の候補となった。続く「チャップリンの殺人狂時代」(47)では作曲も手がけ、「ライムライト」(52)はアカデミー作曲賞を受賞。同作のロンドンプレミア後に共産主義思想を疑われて米国から再入国を拒否され、スイスに移り住んだ。72年、オスカー名誉賞を受賞。75年、エリザベス女王からナイトの称号を授与された。77年12月、スイスで死去。88年の波乱に満ちた生涯だった。

映画.comより

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ

チャップリンは、寄席芸人歌手の両親のもとにロンドンに生まれる。母は4歳年上の義兄シドニーを抱いての三度目の結婚であったが、彼が5歳のときに父が死亡、夫の死のショックで母は声を失って舞台を去り、シドニーは船のボーイとなる。母と2人暮らしのチャップリンは路上で踊り、投げ銭をもらうが、母は貧苦のあまり精神に異常をきたした。やがて兄は家に戻り、兄弟でドサ回り芝居に雇われ、犬猫の演技を舞台で演じた。17歳でパントマイム一座のフレッド・カーノ劇団に参加、1910年と1912年の2回の渡米巡演でキーストン映画社のマック・セネット監督に認められ映画界に入った。

不遇の時代を乗り越えて、世界的俳優、映画作家になったチャップリンの言葉が沁みる。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」

人は誰しも、何か良くないことが起こると、その瞬間だけを切り取り、感情的になり、悲劇的な出来事だと受け止めてしまう。

確かに世の中は自分の思い通りにならない事だらけで、自分が望んでもいない不幸な出来事が起こってしまうこともある。

でも、「あの出来事があったから今がある!」と言える人生にしたいと思う。一部分を切り取って悲観的になるのではなく、そこから何を学び、次に繋げるのかが大事だ。

現在起きていることを切り取って、その不幸な出来事を握りしめ続けていても、それはすでに過去の出来事で変えることができないもの。
起きてしまった過去に囚われるのではなく、これからやってくる未来に目を向けよう。人生を楽しもう。
人生は長い旅。いろいろな出会いもあるし、事件も起こるし、楽しいことも待っている。その時起きた出来事だけに足を止めず、もっとその先の未来も見た方がいい。結局最後には、「あ〜、いい人生だった。楽しかった」と言える時が来る。

今日も、今の自分がベストだと思えることを積み重ねてみます!

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