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キルギスからの便り(28) マースレニッツァ

2022年3月1日

 今年の冬は寒い日が長く続き、春は本当に来るのかと不安になった。寒さの厳しい地域の人々が春を待ち遠しく思う気持ちは日本も外国も変わらない。

マースレニッツァの開催を知らせるポスター。≪Проводы Зимы≫は「冬送り」の意味。

 私がキルギスへ渡って初めて知った行事に「マースレニッツァ(масленица)」がある。西欧諸国の「謝肉祭(カーニバル)」に相当し、長い冬に別れを告げ春の到来を祝うお祭りだ。名称はバターや油を意味する「マースラ(масло)」に由来し、訳すなら「バター祭り」だろうか。

 今では東方正教会の行事だが、古くスラブ地方で生まれた冬を送る風習が後にキリスト教と結びついたとも言われる。開催時期は復活祭を基準に計算されるので年によって違い、2022年は2月28日から3月6日だ。

 ちなみに開催日の計算に西方教会ではグレゴリオ暦、東方正教会ではユリウス暦を採用しているため、マースレニッツァと謝肉祭の開催時期は異なる。

 1週間続くマースレニッツァ最終日の日曜には地域の人々が集まり、カカシを焼くお祭りが行われる。その翌日から復活祭までの7週間は肉やバター、油、卵、乳製品などを絶つ精進の期間に入るため、精進開始前の1週間にたっぷり乳製品などを口にして楽しんでおく。ただ、現代では実際に精進をする人々はごくわずかで、楽しむ部分だけが残ったようだ。

「冬送り」の儀式

 キルギスへ赴任した初年度の3月。勤務先の学校で受けていたロシア語の授業の終わりに、次回の予習として配られた課題プリントのタイトルに「масленица」の文字があった。意味が分からぬまま、そのプリントが配られた同日だったか翌日の夕方に、初めて通る道で1枚のポスターが目に留まった。詳細は理解できないが「масленица」と書かれていることだけは分かった。写真を見る限り何となく楽しそうな案内らしい。開催日は3月10日。明後日である。とりあえず写真を撮って帰宅した。

 課題プリントの読解文に目を通すと、マースレニッツァの由来や行事の詳細が記されていた。記憶があいまいなのだが、確かマースレニッツァの1週間は各曜日に意味があって、その曜日毎にやるべきことが決まっていること。ブリヌイと呼ばれるロシア風クレープをたくさん食べること。ブリヌイは丸く、太陽を象徴していること。最終日の日曜にはカカシを燃やして冬に別れを告げること。等々が説明されていた。

 またポスター中央に大きく書かれた「Проводы зимы」の単語を調べると「冬送り」の意味だった。なるほど。深くは理解できなかったけれど、とりあえずマースレニッツァが伝統的な行事だとは分かったので、ポスターに誘われて、足を運ぶことにした。

 会場は学校から歩いて20分程の所だった。果たしてこの国で定刻に行事が始まるものだろうかと半信半疑で広場へ着くと、前方にはスピーカーやマイクの用意された舞台があり、後方にはいくつものテーブルが並んでいてブリヌイやピロシキ、パンなどが販売されていた。すでにたくさんの人が集まっており、その8割以上はロシア系住民だった。

 キルギス人の多くはイスラム教徒であり、かつロシアや東欧から離れているから、本来マースレニッツァに縁はない。私の住んでいた地域にはロシア軍の基地があり、比較的ロシア系住民が多いことから、こうしてマースレニッツァが催され人も集まるのだろう。

 軍服を着た軍人も来ていて、子ども達が彼らと一緒にうれしそうに写真を撮ってもらう姿もあった。軍人に対して抱く感情が日本人のそれとはかなり違うように思われた。

 やがて音割れの激しいスピーカーから耳が痛くなるような音量で音楽が流れ始め、祭りは始まった。人混みで前方がよく見えなかったが、ロシア風の民族衣装を着た若者たちがカカシを掲げて広場の中央に入場してきた。祭りの終盤には焼かれるであろうカカシである。

舞台では民族衣装を着た人々が歌や踊りを披露。左側には祭り終盤に焼かれるであろうカカシが立っている。

 見物客の前列にいる子ども達にブリヌイが振舞われ、その後、ロシアやキルギス、トルコなど周辺各国を代表する踊りや歌が披露されて、観客を楽しませた。特に面白いと思ったのは腰を低くして足を片足ずつ蹴り上げるダンスや剣を振りながら軽快に踊るダンスだ。コサックダンスと言うのだろうか。予備知識もなく目の前で舞われているのが何なのか分からないまま、拍手を送っていた。

 マースレニッツァに限らず、多民族国家のキルギスにいると、そういったスラブ系や中東系とおぼしきダンスを踊れる若者を見かけることはたまにある。

 踊りや歌はすぐに終わり、その後は住民が参加するゲームが延々と続き、好奇心をくすぐられるような出し物はなくなった。お腹が空いたので後方の販売テーブルの方へ移動すると、スーパーやバザールでは見かけないホームメイドのピロシキがたくさん並んでいる。

 中身が何なのかは分からないが、大きくておいしそうに見えた半月型のピロシキを買った。手に持つと温かい。作り立てのようだ。空いた椅子を探して腰かけ、いざ一口かむと、おっと、詰め物が多くて下手をするとぽろぽろと落ちそうになる。具材はニラのような緑の野菜と肉、卵を炒めたものだ。油で揚げてあるので手が汚れるし、屋外なので洗う場所もなく、スマートに食べるのはなかなか困難だったが、食べ応えがあって味も満足だった。

笑顔で春を迎えたい

 おやつのブリヌイやパンを買って、帰途に着いたが、心残りがひとつだけあった。カカシを焼く場面を見ていないことだ。お祭りを最後まで見届ければ良かったのだろうが、部屋に戻ってやるべきこともあったし、何時間も立ち通しで過ごすのもつらかった。

 一度はあきらめたものの、夕暮れが近づいた頃、心残りは消しておかねば、と思い始めた。そして部屋を出て、再び広場へ向かって歩いた。まさかそんなに長くお祭りが続いている訳もないのに。でもカカシの残骸くらいは見られるかもしれないとかすかな期待を抱いた。

 広場に着いてみると、そこにはカカシの焼け残りどころか、テーブルも椅子も舞台も何ひとつ残されておらず、人の一人もいなかった。寂しさを感じさせる余韻すらなかった。

 今、ウクライナ情勢の悪化に世界が揺れている。現地でもマースレニッツァを笑顔で祝いたかったろう。ウクライナ人もロシア人も、軍人も政治家も一般の人々も。
 春を迎えるために燃やされるのはカカシだけでいい。街が壊され、焼かれる必要などまったくない。

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