おっさんずラブ第三話も、本当に素晴らしかった！そして色々考えさせられる回でもあった。
牧と武川さんが初めて出会った時、武川さんはまだ四十歳くらいで今の春田さんと同じくらいだったはず。
「若かったから傷つけ合ってしまった」
　武川さんの言葉に、自分の若き日を思い出してうなずいた中高年も多いだろう。
　初デートの時に牧がプレゼントしてくれたイルカのキーホルダーをまだ大切に持っているのは、武川さんが牧を忘れられない証拠だ。
「捨てて下さいよ、そんなの」と言う牧に「想い出に罪はないだろう」と武川さんは寂しそうに返した。だけど彼にとって牧との恋はまだ「想い出」になっていない。過去になっていないのだ。同じ会社に勤めていて、会う機会も多いからさぞかし苦しいだろう。
　五十歳という年齢は重みがある。私も経験があるが、人が本気で人生を振り返り始める頃なのだ。「死」や「老い」がファンタジーではなくなる。
「人生の漠然とした不安がある。年をとったら誰が俺のオムツを替えてくれるんだろうとか、最期を看取ってくれるのは誰なんだろうとか。恋がしたいというより、老後も一緒に助け合えるようなオムツパートナーが欲しいのかもしれない」
　暗い瞳で武川さんが言った言葉に、私は胸をえぐられて「うん、うん、わかるよ」とうなずいてしまった。
　武川さんは、食後にりんごゼリーやみかんゼリーを食べながら他愛ないおしゃべりをする相手がいない孤独な老後を想像しているのだろう。
　彼はずっと牧との幸せな日々を反芻(はんすう)しているに違いない。
「あの時、ああしていたら」「あの時、もっと自分がこうしていたら」と後悔も多いはず。
　別れて十年余り、たくさんの人との出逢いがあっただろうが、それでも牧を忘れられないのは、人生を共有した時間がそれだけ輝いていたからなのだろう。牧とは別れはしたが、その別れ方も決して憎み合ってドロドロではなかったに違いない。別れてもなお「いい奴だった」「幸せな時間だった」と言える相手なのだ。だから想い出が色あせない。そこがまた辛い。
　私も若い頃に恋の二つや三つはしたけれど、今思い出して「あの時ああしていれば今も一緒にいられただろうに」なんて思う人は一人もいない。どいつもこいつも思い出すたびに舌打ちしたくなるくらいで、結婚しなくてよかったわ〜！と日夜胸をなでおろしている。
　イルカのキーホルダーのような「楽しい想い出の形見」なんか一つも持っていない。もらったものは全部ゴミ箱に放り込んだ。多分向こうも同じだろう。
　今思い出したが、捨てたはずの、元カレがくれた冬用のガウンを、なぜか母親が着ていて「なんでそれ着てるの！？捨てたのに。〇〇君がくれたやつだよ。捨てて」と言ったら「もったいない。物に罪はない」と言って長い間嫌がらせのように愛用していた。我が母親ながら実に無神経である。
　私のように元カレが舌打ちしたくなる奴であれば、武川さんだってさっさとキーホルダーを捨てただろうし、新しい恋を見つけられただろう。牧だから、それができなのだ。
　武川さんが牧を家に送って行った時、車の中から牧と春田を見るメガネの奥の瞳の切なさにウルっときたのは私だけではないだろう。
　話は変わるが、私はここ数日春田と牧の水族館デートを妄想して楽しんでいる。
　水中トンネルの中で、頭の上をイルカが悠々と泳ぐのを指差して、春田が「わあ！牧、見て見て！すげえ！」と叫び、水中を舞い踊るイワシの大群に驚いて、「なんで！？なんで！？なんでみんな同じ方向に泳ぐわけ？こいつら天才か？」と目を見開き、レストランではマグロの山かけ丼を食べながら「うんめえ！」とのけぞるのだ。
　春田は一瞬一瞬を目一杯楽しんで、牧もそれに引きずられて心の底から楽しむに違いない。
　家に帰ったら、牧は風呂に湯を張ったり、スーパーで買ったものを冷蔵庫にしまったりするが、きっと春田は「楽しかったな〜」とか言いながら靴下やパーカーを脱ぎ散らかし、水族館のお土産ショップで買ったシロイルカチョコインクッキーを早速食べてクズを散らかし、「あれ？スマホどこやったっけ？牧〜、俺のスマホ知らない？」などと言って牧に叱られる。二人はそうやって色あせない想い出を作り続けながら年を取っていくのだ。
　牧と春田はめでたしめでたしであるが、武川さんはどうしたものか……。年齢が高くなるほど、理想の相手を見つけるのは困難になる。
いや、見つけることはできるが、うまくいくのが難しいのだ。お互いにもう自分のやり方がしっかり定着している。それはテレビのリモコンをどこに置くかというような些細なことから、家を買うとか老後の資金とか、人生設計みたいな大きなことまで。相手に合わせるのが難しくなるお年頃なのだ。
　武川さんに、綺麗好きで整理整頓がちゃんとできて、優しくて、家事も仕事もきちんとこなせて、賢い人が現れてくれないかしら……。牧が二人いればいいのにね。