おかえり

「霊能者を名乗る人間の中には、結構インチキな詐欺師がいるから気をつけろ」
 友人や会社の同僚に言われても、桜子は全く耳を貸さなかった。
 「すごい霊能者がいる」と聞けば日本中どこへでも飛んで行った。
 この三年間、ボーナスはほとんど霊能者行脚(あんぎゃ)に消えている。
 「霊能者」達の言うことは、たいてい同じだった。
「あなたのそばにいる」
「あなたと一緒にいられて幸せだったと言っている」
 それを聞くと、嬉しくて嬉しくて、数日は本当に幸せな気持ちになる。だけど、またすぐに不安になるのだ。
 春やんは本当に幸せだったのだろうか。あの霊能者は本物だったのだろうか…と。
「もう40なんだから、貯金はしっかりしておかないと。結婚する気もないんでしょ?」
 何かにつけて親にチクチクと言われるが、桜子は通りすがりの人のあくびくらい気にもとめない。
 結婚よりも将来よりも何よりも桜子は大切なことがあって、そのためには貯金など使い果たしていいと思っている。
 それは、ある日突然あっちの国に行ってしまった愛猫「春やん」のことだ。春やんは今どこでどうしているのか、自分と暮らした十八年間は幸せだったのか、それがどうしてもどうしても知りたいのだ。そしてそれを知るためには霊能者に頼るしかないと思いつめている。
 三年前の春の早朝、いつものように桜子の足元で丸くなっていた春やんが息をしていなくて、そのあまりに突然の別れをどうしても受け入れることができないでいるのだ。
 もし春やんが大好きだったおやつをもっと減らしていたら、春やんが好きなカリカリを、春やんがあまり好きじゃなかった「特別に体に良いカリカリ」と銘打たれたものにしていたら、嫌がる歯磨きを一日置きじゃなく毎日していたら、毎年一回受けていた動物病院での健康診断を年三回か四回に増やしていたなら、春やんはもっと長生きできたんじゃなかろうか…。そう思うと、胸を搔きむしらずにはいられないほど苦しいのだった。
「よし、ゴールデンウイークの休みに、ここに行ってみよう」
 二時間もパソコンの前に座ってネット検索して、東北に住むスピリチュアルカウンセリングの霊能者を見つけた桜子は、やっと安心してベッドにもぐりこんだ。
 とっくに日付は変わっていて、起床時間まであと四時間しかない。
しかし早く寝なくちゃと思えば思うほど睡魔は遠ざかる。
「春やん、春やん…」
 闇に向かって呼んでみた。
 虚しく宙をつかむだけと分かっていても、両手を伸ばしていつもの「エアなでなで」をしてみる。
「春やん、お母ちゃん寂しいよ…」
 自分の声が呼び水になって涙があふれた。
 どのくらい時間が経ったのか、春やんを想いながらいつの間にか泣き寝入りしてしまった桜子は、かすかな猫の鳴き声に目を覚ました。起き上がると、足元に春やんが生前と同じように座っていた。
「春やん!?」
 春やんは桜子の前まで来て、またちんまりと座った。
 どこにも行かせるものかと、桜子は春やんを泣きながら抱きしめた。
「なんで私をおいて、さっさとどこかに行っちゃったのよ!」
「人間も猫も寿命ってもんがあるんだよ」
「えっ!は、春やん、言葉喋れるの?」
「しゃべれるさ。本当は猫はみんなしゃべれるけど、隠してるんだよ」
「なんで?」
「そう言う決まりなんだよ」
「誰が決めたのよ」
 春やんは黙って天井を見上げた。
「そんなに嘆くと、俺は平和に暮らせないじゃないか」
「だって、だって…。春やん、今どこにいるの?」
「すごくいい所にいるよ。美味しいものいっぱい食べて、可愛がられてる」
「誰からよ!」
 春やんはまた天井を見上げた。
「このままずっとここにいてくれる?」
「それは無理だよ」
「なんでよ!なんでダメなのよ。私がこんなに悲しんでるのに、ひどいじゃないの」
「今は悲しいだろうけど、魂にとってその悲しみは必要なんだよ。全てのことには『時』ってものがあるんだ。今は悲しむ時なんだよ。でもまたきっと笑う時が来る」
 「時……」
 中高がカトリック系の学校だった桜子は、旧約聖書の中のコレヘトの言葉を思い出した。
「何事にも時があり、天の下の出来事には全て定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時……」
 桜子は長い息を吐いた。
「春やんはいつか帰ってくる?」
「わからない。帰ってくるかもしれないし、帰ってこないかもしれない。」
「そんな…帰ってきてよ。お願いだから」
「約束はできない。でも必ずまた会える。この世のお仕事を終えた猫達はみんなあっちの世界で待ってるんだから、この世で会えなくても絶対また会える」
「そっか……。ねえ春やん、訊きたいことがあるの」
桜子は春やんの瞳をじっと見つめた。
「私と暮らして幸せだった?」
「最高に幸せだったよ!猫はみんな、愛してくれる人と暮らせればそれだけで最高に幸せなんだ」
「カリカリ、あれでよかった? もっと体に良いカリカリにしたほうがよかったのかなって」
「おいおいおい、何言ってるんだよ。あの俺が嫌いなカリカリにしたからって寿命が伸びるってわけじゃないんだ。定命(じょうみょう)ってものがあるんだから。俺が毎日食べてたカリカリ、大好きだったし、あれだって体に良いやつだったじゃないか。もう後悔するのはほんっとにやめてくれよ。自分を責めるのも泣くのもやめてくれよ。猫はみんな一緒に暮らした人が泣いてるのを見るのが一番辛いんだ」
「わかった。もう泣かない」
「あ、それから霊能者探しはもうやめろよな。ゴールデンウイークは友達誘ってどこか楽しいところに遊びに行きなよ。俺もついてくから」
「えっほんと!?そうするそうする!」
 春やんはくるりと姿勢を変えて、桜子の膝に両手をつき、パンをこねるようにモミモミを始めた。そして散々もみ尽くしてから、丸くなって目をつぶった。
「ああ、あったかいや」
「春やん……愛してるよ」
「俺も世界で一番愛してるよ」
 桜子は春やんをぎゅっと抱きしめてナデナデした。すると、ふっと春やんの姿が消えて、膝にはもうなんの重みも残っていなかった。

 あれから二年の月日が流れた。この二年で桜子の最も大きな変化といえば、彼氏ができたことだ。
 弘毅(こうき)との出逢いは職場の後輩の結婚式だった。披露宴で同じテーブルになり、二次会では隣の席に座って、帰る頃にライン交換をしてデートの約束までした。
 付き合い始めてみると、二人は驚くほど共通点がたくさんあった。食べ物の好みや好きなドラマが一緒で、笑いのツボまで同じだった。
 弘毅はポヤッとした穏やかな性格で、付き合って一度も喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。
 企業戦士とはほど遠く、出世とか役職にはあまり興味がないようで、そこも桜子にとって好きなポイントだった。
 今日は桜子の誕生日だ。弘毅が自分の部屋で料理を作って祝ってくれると言うので桜子は何日も前から楽しみにしている。
 桜子よりも家事能力の高い弘毅のバースデーディナーはどんなに美味しいだろう。
 そしてディナーよりもっと、桜子が楽しみにしていることがある。弘毅が桜子の友人にこっそりと、指輪のサイズを訊いてきたことはすでに耳に入っている。「絶対に内緒にして!プロポーズするんだから」と言ったそうだが、そんな約束が守られるはずはない。友人の彼氏より、友人の方が大事に決まっているのだ。
 桜子は大雨の中、ワクワクしながら出かけていった。
 呼び鈴を押すと、青いエプロン姿の弘毅が笑顔でドアを開けてくれた。
「ハッピーバースデー!もう準備万端!と言いたい所だけど、ちょっとハプニングがあって、まだできてないんだ。ちょっとだけ待っててくれるかな。テレビでも見ながら」
 ワンルームマンションはいつも綺麗に片付いているのに、珍しく雑然としている。
「散らかってるね。どうしたの?」
 段ボール箱が床に置かれて、タオルやティッシュが散乱し、小ぶりのスープ皿がひっくり返って水がこぼれている。
「マンションの駐車場で、この子が震えてたんだよ」
 弘毅が段ボール箱に両手を入れた。
「この子」
「えっ!」
 弘毅の大きな手の中にすっぽりとおさまっているのは、見るからに生まれて間もない真っ白い仔猫だった。
「俺、もう少しで車で轢(ひ)くとこだった。暗くなってあんなとこにいたら絶対轢かれちまうからとりあえず保護したんだけど、どうしたらいいかな。NPO団体とか探せばいいのかな」
 桜子は仔猫に近づき、そっと手を伸ばして抱きとった。
「料理の続きしてちょうだい。私はこの子と遊んでる」
「オーケー」
 弘毅がキッチンに戻ると、桜子は仔猫を抱いてベッドに座った。
仔猫は桜子の膝や腕も揉みしだき始めた。そして散々揉んだあとに桜子を見上げて丸い目を見開き「ニャア」と呼びかけた。
 桜子の胸に今まで経験したことのない不思議な感情がこみ上げてきた。地を潤す慈雨のように、乾涸(ひから)びた心が命を吹き返していくような心地がした。
 ああ、やっとやっとその「時」がきたのだ!笑う時、踊る時が!!
 桜子は子猫の耳元に唇を寄せた。
「おかえり…」


この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?