失恋というチャンス

 私は二十二歳の時に、中学校の同級生と婚約した。親同士も話し合って翌年の春頃に結婚式をあげるということになった。
私はアルバイトしながら専門学校に通っていて、彼は大学を何度も留年してすねかじりの身だった。そんな状況でどうして結婚しようと思ったのか、親もどうして結婚を認めたのか、今考えるとみんなどうかしている。
私自身が未熟で愚かだったし、彼も問題点が多々あった。彼(仮にAと呼ぶことにしよう)は浮気者でお子ちゃまで、マザコンだった。
 すねかじりの身でありながら、車を乗り回し、ブランドのポロシャツを来て、私に奢ってもらうことを当たり前だと思っていた。
長身で甘いマスクのAは、高校時代からものすごくモテていた。電車通学をしていた三年間に電車の中でもらった大量のラブレターを見せてくれたことがある。一番の問題は、彼が女性に対して全く誠実ではなかったことだ。彼は婚約中も、私が実家に帰っている間に、私の同級生と私のアパートでデートをしていた。そのことを知っても、私は別れようとは思わなかった。我が家は超がつくほどの男尊女卑の家庭で、女は我慢するものという考えが身にしみ込んでいたのだ。私は自分に自信がなかった。恋人であっても、愛されることが当然だとも思っていなかったのだ。
彼女の出現でぎくしゃくしていたある日、Aの母親から呼び出された。私は彼女のことが大好きだった。私たちはとても仲良しで、彼さえも知らない秘密も知っていた。彼女は和服が似合う魅力的な人で、内緒の恋をしていたのだが、それを知っているのは私だけだったのだ。だけど、その日の彼女は私にとても冷たく、残酷だった。
「Aはもうあなたと結婚したくないそうよ。私も、あなたはイヤなの。別れて欲しい」
実の母親に甘えたことがほとんどない私は、Aの母親に執着していた。「私の娘」だと言ってくれていた人の豹変に、私はショックを受けた。
愛されてたわけじゃなかった。彼女にとって大事なのはAだけだったのだ。
彼がマザコンだということはよくよくわかっていた。二階の彼の部屋で口論になった時、彼は階下に向かって「ママー!」と叫び、母親が二階に駆け上がって来たこともある。結局彼は、自分で別れを切り出すことさえできなかったのだ。
ところが、別れてしばらく経って、Aが突然連絡して来て来た。
「文章書くの得意だよね。ちょっとした論文書いてくれない?もちろんバイト代払うってさ」
彼と同じ大学の友人の卒論代筆の依頼だった。彼は文学部の学生で、日本の作家について書いて欲しいと言う。なんと、締め切りは一週間後。卒論を出さなければ卒業できないという切羽詰まった状況だった。
「卒業がかかってるから、ゼミの教授はなんでもいいから出せば単位をやると言ってるんだってさ。とにかく原稿用紙を埋めてくれさえすればいいから」
私は二、三日徹夜して原稿用紙50枚の論文を書き上げた。テーマは与謝野晶子。何を書いたのか内容は全く覚えていないが「君、死にたまふことなかれ」という一文だけはなぜか鮮明に記憶に残っている。彼の友人はそれで単位をもらい、卒業が決まったそうだ。多分、教授は卒論の中身なんぞ全く読まなかったのだろう。
Aは電話で「バイト代、近いうちに持っていく」と言ったが、私は「いらない。あげる」と答えた。それに対して彼は「冗談じゃない!もらえるわけないだろう」と怒った。だけど、彼はそれきり何の連絡もしてこなかった。
最後の最後まで、そんな奴だったのに、それでも私は未練を断ち切ることができずに、終わった恋を引きずっていた。彼が「やり直そう」と言ってくれるのを待っていた。彼なしの人生は考えられず、彼なしでは幸せになれないと思いつめていた。
だけど、一年経った頃、憑き物が落ちたように正気に戻った。
「なんであんな人に執着したんだろう?あんな奴と結婚してたら絶対不幸になってたわ。よかった〜、別れて!」と、心の底から思えた。
だけど男女は、その組み合わせによって良くも悪くもなる。お互いの良い面を引き出せて、一緒にいることによってより良い人間になれるのがベストカップルなのだと思う。私は彼の良い面を引き出せなかった。そして私自身、少しも成長できず、良い人間にもなれなかった。Aは今頃、いい夫いい父親になっているかもしれない。そうであって欲しいと思う。
 失恋して絶望している人に言ってあげたい。「一年頑張って!」と。そして暇な時間を作らないことがとてもとても大切だと伝えたい。できれば遊びだけではなく、将来につながりそうなことに時間とエネルギーを使って欲しい。私はその失恋期間に専門学校に通い、習い事をし、毎日バイトもして一日たりとも暇な日を作らなかった。忙しすぎて、泣く暇すらなく、疲れすぎて夜は気絶するように眠った。そして一年後、卒業証書を手に入れて、就職先も決まった。あの一年間の頑張りが、その後の私にとって大きな支えと自信になったことは間違いない。もし自暴自棄になったり、後ろ向きになって過去にしがみついたりしていたら、ただただ不幸になったはずだ。
「その人がいなければ生きていけない」なんて、思っちゃいいけない!そんなものは幻想だ。
その人がいなくても絶対生きていける。その人がいなくても絶対に幸せになれる。たとえその人が、Aのようなダメ男ではなく、世界中で一番素敵な人であったとしてもだ。どんなに苦しくても、失恋の痛みは必ず時が癒してくれる。
それに、周りを見渡してみれば、わかるはずだ。自分の両親や年配の夫婦で、配偶者のことを「この人がいなければ生きていけない」なんて言ってる人いる?
私の両親は大大大恋愛の末に結婚した。母の妹に聞いた話では母の部屋の押入れいっぱいにラブレターが入っていたそうだ。
「あなたがいなければ生きていけない」
 両親は互いにそう思いこんでいたのだ。だけど、私が物心ついた頃から、両親が仲良く話していたことなんか一度も見たことがない。
若い頃には恋心は永遠に続くものだと思い込んでいたが、身も蓋もない結論を言わせてもらうなら、恋は冷めるものだ。失恋の痛みも必ず冷める。
 そもそも「失恋」というものは、幸でも不幸でもなければ善でも悪でもないニュートラルなものだ。もしかしたら離婚も同じじゃないだろうか。そのどちらにも属さないニュートラルな状態を、幸にするか不幸にするかはその後の生きる姿勢だと思う。
失恋したら新しい恋をすればいい。失恋によって魂はステップアップして、人間的に深みも出たはずだから、もっといい恋ができるはず。
広い地球上に、自分と相性が良い人が一人や二人のはずはない。恋の対象が男であれ女であれ、この地球上には三十五億もいるのだから!

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