あるめんどくせーばーちゃんの話

先日、阪神電車の改札付近の地下道で、白い杖をついたばーちゃんが歩きづらそうにしていたから、
「どちらかまでご案内しましょうか?」
って声かけたんだけど、
「たのんます!」って被せ気味に言ってガシって私の腕掴んだ。
「ドーチカ行きたいねん」て。
逆方向だし、ちょっと離れてるけど、まあいいかとドーチカ方面に歩いて行きがてら、「ドーチカのどこ行きたいの?」って聞いたら、「どんつき、杵屋の方」って。

流石にそこまで行けないかなぁ(1キロくらいある)と思って「じゃぁドーチカの入り口までご案内しますね」って歩いてたら、そのばーちゃんよく喋るしうるせーしすげー文句言いなのよ。
「日本人は冷たい!外国じゃみんなもっと声かけてくれる!」
とかいうから、
「でもみんな心配そうにみてるよ、ぶつかりそうなら声かけようと構えてるよ?」
って言っても、
「実際に声かけてくれないならナイも一緒や!」とか。

「で、ドーチカのどんつきからどこ行くの?」
ってちょっとイラッとして聞くと、フェスティバルホールに行くんだと。じゃぁもうとりあえず地上まで送ってあげようと結局ドーチカのどんつきまで連れて行って階段を上がったら、その先には旧堂島ホテルの解体工事現場があったり側道から車の出入りも多いから、もうここまで来たら送ったるわ、とフェスティバルホールまで行ったのよ。

ところで、ドーチカのどんつきからフェスティバルホールに行くには、向かって左手の階段から地上に上がった方が早いんだけど、ばーちゃんは右手から上がると言う。いつもそっちからなんだって。
一緒に歩いてみたらわかったけど、途中の渡辺橋には点字ブロックがないのよね。だから右手で橋の欄干触ったり、杖で端を確認しながら渡る必要があったみたいなのよ。それで、橋を渡り終わって大きめの横断歩道を渡ったら、フェスティバルホールの正面にたどり着くの。
そういうの、気にしたこともなかった。

ともあれ、知人と合流するばーちゃんを送り届けてお知り合いにパスしてとって返して、本来の目的地であったヨドバシカメラに向かったわけなのですよ。結局4キロ歩いてたわ。

ただ、めんどくせーばーちゃんだったけど、一方で私はそういう視覚障害者であるところのあのばーちゃんに、それゆえの人格的な何かを期待してたんじゃなかろうかと思ったんだよね。別に、目が見えようが見えなかろうが、手助けするこちらに都合のいいお人柄である筋合いはないのに。
「障害があるが故にそれを克服して生きている練れたお人柄」とか、そんなのは他人の都合のいい願望だし、それに応えて「ちょっといい話」を演出してくれる必要はないわけよ。だから、めんどくせーばーちゃんは障害があろうがなかろうがめんどくせーばーちゃんであるのが自然なわけ。
なんか、そのことに納得がいったというか、泰然自若?ありのままってそう言うことだなぁと思って、スッキリしたんだよね。そう言う意味では、色々気づいたことがあっていい出会いだった。うるせーばーちゃんだったけど。

そして、ヨドバシで欲しかったものは見つからなかった。

そのばーちゃんは可愛いところもあって、音楽の話題で私が幼少期に習ってたバイオリンを下手だから止めたって言ったらすごい剣幕で、
「Nein!違う!下手じゃない!一生懸命やらなかったからだ!」って。
おっしゃる通りで、ばーちゃんは気ぃキツいけど、そうやって色々やっつけてきたんだろうな、と思う。さっき会ったばっかりの他人にそう言えちゃう他者との距離感も大阪っぽいのかな?すげーと思うし。

ともかく、こうやって、手を貸したり貸されたりが、何か尊いことなんかじゃなくて、ありふれたどうでもいいことであるといいと思ってる。

なので、次に西梅田の地下街であのめんどくせーばーちゃんを見かけたら、やっぱり声かけるんだろうと思う。
フェスティバルホールくらいまでなら、またつきあったるわ。

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