音の少ない世界

子供の頃に楽器をやっていて、中学生で辞めたもののその後も音楽はずっと身近にあった。歌をうたうことは好きだったし、近年では地域のクラシック音楽を専らとする合唱団に所属して毎年オーケストラと共演していた。流行りの音楽は聴かなくなっても、クラシック音楽はずっと聴いていた。

春の在宅勤務中、音楽を流しながら仕事しようかと試みたことがあったが、自分は音があると気を取られて集中できないタイプの人間であることをようやく自覚した。そういえば、友人たちはラジオを聴きながら勉強していたなどと言っていたが、私はそれをしたことがなかった(そもそも勉強はほとんどしておらずほぼポテンシャルだけでここまで生き抜いてきた)。考えてみれば、あの頃よく聴いていた音楽のせいで勉強に集中できなかっただけなのではないだろうか。音楽を聴いていなければ、もっと勉強していたのかもしれない。知らんけど。

多分、音楽を聞くと脳内に視覚的に再現されてしまうため、視野が音に占められてしまうのだろう。他のことが頭に入らなくなってしまうのだ。

人生で一番勉強した時期は、高校時代や大学受験ではなく大学院の頃だった。しかし、この頃は音楽をよく聴いていた。ただし、バッハだけ。膨大な数の音が整合されていく様が、思想研究をしていた自分の思考の働きにうまく作用していたように思う。やはり、勉強をしながら聴くということはできなかったけれど、イメージトレーニングとして有用だった。

今、コロナ禍により合唱の活動を休んでいるため、この一年は本当に音楽を聴いていない。車の中ではいつも、演奏する曲を聴いて予習復習していた。けれど、今はその必要がない。その分、というのだろうか。他人のことを考えることが多くなったように思う。これまでなんとなく流していた過去のエピソードの断片が繋がって、「へぇ、いいヤツだな。」と改めて気づいたり。音に埋もれてたんだな、色々なものが。

年末、一人で南紀にドライブして、その間ずっと歌っていた。一人で長時間ドライブなんて飽きるかと思ったけど、歌っていたらあっという間だった。
音は時間を埋めてしまう質量があるな。
音楽がない一年は、確かに少し身軽になった。

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