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「浮世絵は西洋で初めて芸術として認められた」というのは事実誤認では

浮世絵が世界のアート史上重要な位置を占めている、ということは論を俟たないだろう。肖像画の世界代表が「モナリザ」なら、風景画の世界代表は「神奈川沖浪裏」であると言っても語弊はあまりない。そのくらい重要である。

その浮世絵について、「江戸期は日本では芸術として評価されておらず、そのために輸出用陶磁器の包み紙として使われて、西洋で芸術的価値が発見された」という俗説がかなり当たり前のように流布している。

しかし、これに関しては当時の浮世絵師の扱いを誇張しすぎで、事実誤認を含むものであるように思われる。浮世絵も浮世絵師も当時からアートとして受け入れられていたというエピソードに事欠かないからである。

武家や寺社から受注していた

浮世絵は版画の技法が発達するまでは肉筆のものが多く、浮世絵師も評判を取れば高額の受注で高価な画材をふんだんに使った肉筆画を描くことは普通であった。初期ならば菱川師宣、中期なら勝川春章の肉筆美人画が有名であるし、後期も歌川広重には天童藩から受注した「天童広重」という肉筆のシリーズがあり、葛飾北斎は寺院の本堂の天井絵を手掛けている。宗教施設の絵を手掛けている以上、ハイカルチャーとして迎えられていたと言ってよい。

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岩松院 『八方睨み鳳凰図』下絵 北斎


また、版画も江戸中期には芸術として評価を確立する。多色刷りの浮世絵を確立した鈴木春信は、大商人や旗本など富裕な顧客を主たる相手とし、教養がなければ読み解けない判じ絵を多く含む絵暦を作っていた。絵暦は西欧における時祷書と相同であると考えれば、版画浮世絵もハイカルチャーとして受け入れられていったことがわかる。

江戸時代の画家は、屏風絵から掛け軸、浮世絵、果ては春画など幅広く手掛けていることが多く、浮世絵師も典型的な「浮世絵」である大首絵や名所絵の版画だけに特化していたわけではなかった。春画はハイカルチャーではありえないが、同じ絵師が宗教画と春画を両方手掛けても評価は変わらなかったわけである。

また、広重の「東海道五十三次」や北斎の「冨嶽三十六景」は、幕府の規制もあってうどんやそばと同じ価格帯(16文前後)で売られつつも、刷りのいいものを集めて全画コンプリートの上で文人画同様の装丁を施し画帖に仕立てたものが存在することから、安価な庶民の娯楽でありつつ、芸術性も文人画に劣らぬ評価を受けていたと推察される。

輸出用の美術品はすでに多くあった

「浮世絵は輸出用陶器の包み紙に使われていた」――この伝説が示すように、当時、陶磁器や漆器そのものも美術工芸品として積極的に輸出されていた。「包まれていた側」である有田焼(柿右衛門)の絵付け磁器は高級品であり美術的鑑賞の対象でもあったし、漆器も同様であった。マリーアントワネットのコレクションとして知られる「犬形蒔絵合子と机形台」は、小物でありながら491リーヴル(現代の価値にして約100万円)で買われたことが知られる。

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犬形蒔絵合子と机形台
Musée national des chteaux de Versailles et de Trianon蔵

こんなわけであったから、当時日本にファインアートがあることは知られていたし、絵も当然その一つであった。モネ「ラ・ジャポネーズ」やホイッスラー「陶器の国の姫君」では扇子や団扇がふんだんに描かれているが、これらは日宋貿易の頃から美術品として中国に輸出されており、特に扇子のほうは日本の檜扇を発祥としていて中国にはなかったことから珍重され、高級舶来品として文人に愛好されてコレクションの対象となっていた

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モネ「ラ・ジャポネーズ」

浮世絵もその一つであって、量産品であることから基本的にポップカルチャーという基礎認識はありつつも、質の高いもの、資料的価値の高いものは、出島のオランダ商館を通じて持ち出されており、ツンベルクティチングのコレクションは帰欧後に評判をとっていた。シーボルトの日本研究の集大成である『Japonica』(1832-52)には普通に北斎漫画が掲載されており、印象派以前から普通にアートとして受容されていたわけである。包み紙から「発見」したというのは都市伝説ではないかというのが最近の研究の傾向である。

版画は今でもあまり高くならない

とはいえ、陶磁器の包み紙に使われた浮世絵も少なくなかったであろうとは言える。版画は一点ものではなく多数あったし、版木がすり減って質が落ちれば価値は下がった。安価な役者絵などは役者の人気が落ちればコレクションを引き継ぐ人も少なく、雑に扱われるものも多かったであろう。

仮に浮世絵が陶磁器の包み紙に使われていたとしても、それは現代においてアイドル写真集が古紙回収に出されたのと大して変わらないし、それをもって「平成日本では写真は芸術として認められていなかった」と言うのは間が抜けているだろう。

ちなみに、10億円単位の取引が目白押しの昨今の美術オークションでも、北斎の本物(当時の版画)でも1億円はいかない。なぜならば同じものが大量に残っているからである。版画であるがゆえ、北斎や広重など有名なものほど多く刷られ、その分多く現存しているのである。美術史上の評価と商品としての価値は混同してはならない。


ともあれ、「浮世絵は芸術として評価されていなかった」というのは事実誤認と言って差し支えない。現代にも名を遺す有名作家は、当時から日本でも西洋でも芸術家として扱われていたのである。


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