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分断は世界のあちこちで起きている。

堀潤さんが監督の、#わたしは分断を許さない という映画をやっと観ることが出来た。
春公開だったものが、コロナの煽りを受けてようやくわたしのホームである #別府ブルーバード劇場 にやって来たのだ。

映画を観て思ったこと

映画の感想はtweetに記してあるのでこちらを読んでもらうとして。


ここの中にも書いたけど、わたしの「分断」という言葉の印象について述べたいと思う。

水俣で起こった分断

わたしは個人的な興味で、水俣で水俣病患者の支援をしている相思社の若き理事、永野さんを友人と訪ねてお話を聴く機会を数回頂いた。
初めて資料館で見た、水俣病の発生から公害として認められるまでの闘い、患者さんの苦しみにショックを受けた。
病気のことはもちろん、ここで何が起こっていたかをよくわかっていなかったからだ。

わたしは自治体の職員だが、病気で苦しむ彼らを追い詰めていたのは、大企業チッソと国である。特に、国や県の動きについて思うところがとてもある。

ここで触れられているのがコミュニティの分断だ。
水俣はチッソという会社があり、そこの従業員が市内の第多数を占める。一方、水俣病の被害に遭ったのは、漁村周辺の、毎日魚を食べている住民たちだ。
この奇病の原因が工場の排水だとなった時、水俣の人々がチッソ側と患者側に分断されてしまった。
水俣には「もやい直し」という言葉がある。
一度壊れてしまった絆を結び直す、という意味らしい。

熊本県知事は、水俣病はこの数年で決着をつける、と言っていた。
現実には、何年も悩んでやっとの思いで新規の認定申請を出した人々の申請は、全て棄却されている。決着とは、新規を認めない、ということなのではないかと勘ぐってしまう。
実際に実務にあたる県庁職員はどんな思いで患者と向き合っているのだろう。
上の指示はどうなっているんだろう。
わたしが担当職員だったら、どうなのか、何が出来るのか。
永野さんの本や文章を目にする度に、とても、とても悩ましく思う。

永野三智さんと、朴沙羅さんの対談がこちらで読めます。


福島で起こった分断

これは、劇中でも触れられていた。主に美容師の深谷さんの事だったけれど。
彼女と同じような話は南相馬市を訪れた時に、聞いたことがある。
あの人は賠償金を貰ったから、私は貰ってないから、線を引かれた地区で、金額や給付の有無が分けられていく。
それまでは同じ地区の同じコミュニティのメンバーだった人達が、どんどん分断されていく。

新しく家を建てた場所で、あの人は補償金を貰って家を建てた、だの噂が流れる。
やっとの思いで見つけた落ち着き先でも、分けられてしまう。

相馬市など、原発から遠い地域は、住民も戻り、再開発が始まっているのに、原発に近い南相馬市や、富岡町、浪江町はまだまだ手付かずの場所も多く残されている。
車から降りられない場所も、わたしが訪れた時にはあったと記憶している。
今も、そんなに変わっているとは思えない。

分断は人が作っている

では、なぜ分断が起こるのか?
分断の始まりには、必ずと言っていいほど「人」が存在する。
それは、政治家だったり、権力者だったり。

シリアの内戦も、香港の暴動に対する警察の弾圧も、朝鮮半島の睨み合いも、発端は政治だ。
カンボジアの分断は中華資本。

分断は、「人」が作っている。

理想論かもしれないけれど

「人」が作ったものであるならば。
「人」が壊すことだってできるのではないか。

そのきっかけは、まず知ることだと思う。
知らなければ、気づかない。
できるだけ自分の目で確かめること。
自分の目で耳で、肌で感じること。

そして、見たもの、聞こえたものをそのまま誰かに伝えること。

それが始まりなのではないかと思う。

同じ地球に住む人間同士なのだから、何かできることはあるはず。
そのきっかけは、こういう映画を観て、世界のどこかで起こっていることを見ないふりをしないことだと思う。

優しい世界になるといいな。
そのために今できることを考えていこう。
自分なりに。

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