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そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記①

 御機嫌よう、休日です。 
 センチメンタルな感情をどこに吐き出して良いのかわからないので、文章にしてインターネットに流します。

 YMSでイギリスに来てから、もう10ヶ月が経ちました。
 色んな事が在った。色んな人に会った。
 そんな記録を少しずつ振り返ってみたい。皆さんの暇つぶしになれば幸いです。

※ここに書かれていることは全てフィクションです


2023年1月、YMS当選。


 当選メールを受け取った時、私が居たのは大きな図書館だった。
 調べ物は良い。知識を得ることは快楽だ。
 その頃香水に傾倒していた私は人間の嗅覚についての本を読み漁っていた。
 コロナの後遺症(だと思う)で嗅覚が長期間問題を起こしていた私にとって、いい香りが感じられることは本当に本当に強い意味を持つ。

 文字の海に頭を投げ出し気の向くままに没頭して、今日が結果発表だと忘れかけていた頃に携帯が振動した。
 イギリス政府からの英語メール。当落結果だろうけれど、読む気になれなかったのでDeepLを起動させて全部翻訳させた。どうやら、当選したらしい。
 特に嬉しくはなかった。だって私は運が良いもの。

 ロンドンは多分、好き。
 別にイギリスが好きなわけではないけれど、お洋服とか、絵画とか、建物とか、私の好きなものはイギリスっぽいもののことが多い。

 5年前にロンドンに一ヶ月滞在していたことがある。
 シェイクスピア・グローブシアターでオセローを立ち見、英語が全くわからなかったけど楽しかったこと。
 ハリー・ポッターの呪いの子があまりの解釈違いで観劇後道でずっ転び、次の日嘔吐して寝込んでいたこと。
 19歳なのにアルコールが合法的に飲める、とちょっとワルぶってM&Sでジン缶を買ったこと。
 テムズ川クルーズに乗ってグリニッジに行き、カティーサークのオリジナル紅茶を買ったこと。
 初めてドミトリーに泊まったオックスフォード、移住したいと心から思ったハートフィールド、目が眩むほど天気の良いキューガーデンの空……。

 本当に素敵な1ヶ月だった。遊びすぎて後半ベッドから動けなくなったことも、帰り道の香港でスマホを無くしてそれをきっかけにパニック障害になったことも、全部含めて必要な体験だった。
 もう一度イギリスに行けばもっとあの楽しい時間を過ごせるはずなのだ。

『当選した』
 家族ラインにスクリーンショットを貼って報告する。おめでとう、の言葉。
 ちょっと前に「イギリスにワーホリでも行こうかな」と言うと、良いね楽しそうだね、と母親はなんでもないことのように返してきた。
 そう、楽しそうなの。ただそれだけ。

最初の難関、エージェント探し。

 海外生活は情報線だと思う。
 特に私のような現地語が堪能ではない人間は、なんとか日本語で情報を得る手段を見つけなければならない。

 中学生の頃からどっぷりと依存しているツイッター(現X。以下ツイッターと呼称)で検索してみると、当選した旨のツイートが散見された。人が居る。ならばここのコミュニティーに属することにしよう。
 最近作ったけれど使い道の決まっていなかったアカウントを丁度持っていたので、それをYMS用のアカウントにすることにした。
『YMS当選しました、友達募集しています!』
 タグを付けて呟くと、瞬く間にフォロワーが増えた。いつもの感じで運用していけそうで安心した。

 1年半くらい居た当時の本アカで「ワーホリ受かった、イギリス行ってくる」とツイートしたらフォロワーが減った。それを観測している私の感情の処理が面倒になって、そのアカウントを消した。
 私の居場所がまた一つ無くなってしまった。

 次はとにかく正確な情報を集めねばならない。私は必死にインターネットでやることを調べ始める。
 この努力は勿論自分が納得してワーホリに行くためでもあるし、コミュニティーへ貢献する情報を得るためでもあった。良い情報を持っている人は優遇されると私は知っている。
 周りに海外に出た人がゼロだった私は外部の人間に頼るしかなかった。留学・ワーホリのエージェントを使用することを前向きに考え始める。

 私は当時無職のプータローだったので、時間だけは他の人よりたくさん持っていた。
 時間にものを言わせメール、電話、面談諸々合計20社もの留学エージェントに話を聞いた。
 私は記憶の管理が苦手なので、全部エクセルにまとめてある。

「詐欺にあったときどうするんですか? 自分だけで対応できますか?」
「日本人の多くが希望職種に就けていません。事前にこちらの教室で英語学習をすることで……」

 こんな言葉を発するエージェントはその時点で切った。営業トークでこちらを疲弊させてくるヤツが担当に付いたら、私が疲れる。
 勘の良い私が嫌だと思ったということは、なにか問題があるに違いないのだ。私の機嫌を損ねることは重罪である。

 いち早くワーホリ説明会に参加してツイッターで細々ながら情報を提供する。どんどんフォロワーが増えていく。どんどんフォロバを返していく。
 今までで一番初速が早くて驚いたのを覚えている。馴染みのあるプラットフォームで勝負ができるのは本当に有り難いことだった。

 模索する中で一社、感じの良い担当さんと納得できるサービスの両方を兼ね備えているところを見つけられたので契約することにした。
 ワーキングホリデー用のプランは一律10万円だった。
 安くはない。でも、なんかいいやって思えた。そう思えることは大事である。

語学学校を選ぶ。

 ワーホリと言えば語学学校。そんな先入観があったので1ヶ月だけ学校に通うことにした。
 英語ができるようになりたいとか、取りたい資格があるとか、そういうのはあんまりなかった。全然なかったと言えば嘘になる。
 英語の資格を取って大学院へ行ってやると言う気持ちはあるが、勉強へのやる気が続かない。私は怠惰なのである。
 そんなわけで学校に行く目的は「YMSの友達作り」「学校からの就職サポート」「仕事・家探しの時間稼ぎ」この3つになった。

①語学学校においてYMSビザを持っている人は少数派だ。友達を作るためには、沢山の人間と出会う必要がある。となると、できるだけ大きな学校を選ぶのが良い。
②学校から就職のサポート(履歴書の添削等)を受けるには、歴史の長いところが良い。新しすぎると仕組みができていないから個人の努力で先生とコミュニケーションをとる必要があり面倒。
③仕事探しのためにはトライアルに行き、家探しのためには内見に行かなければならない。できるだけ交通の便が良いところに滞在することにより、交通のストレスをなくす。

 以上のことをすべてクリアできた学校を選んで、4週間のプログラムを申し込んだ。授業料や寮費含めてざっと45万。
 明らかに無職が使って良い金額ではないが、気にしないことにした。
 生きているだけで許されたい。

Visa申請、信条との戦い。

 ここで一つ問題が出てきた。留学エージェントのプランにYMSビザの代行申請が組み込まれていた。私は考え込んでしまった。
 私はVisa申請を自分でしたかったのだ。

 私がなにより大切にしていることは「自己コントロール感」。
 パック旅行なんかクソ喰らえ。私が調べて、私が選んで、私が手を動かしたいのだ。そうでなければ生きてる意味なんかない。

 大学生の頃にトロントに1ヶ月だけ留学したことがある。留学と言っても語学学校に通うだけのなんちゃってお遊び留学。
 その時にうっかり留学行きたいなって言っちゃったもんだから、母親はとてもそれに対して努力してくれた。私は大学のお勉強で忙しいだろうからと沢山のパンフレットをもらってきてくれて、沢山のエージェントから話を聞いてくれていた。
 私は積まれた書類を前に叫んだ。
「私がなにもできないって言うの!? カナダ行くの辞める、ひとりで何もできない人間が留学なんか行ってもしょうがない!」
 そんな事を叫んで、泣いて、暴れまわった。
 そんな精神状態で満足に調べ物ができるわけもなく、結局母親が良さそうと言ったところに行くことにした。
 そして、カナダで不登校をしていた。かなりクズである。

 私が言いたいのは「最初から最後まで自分で責任を取ること」が私の中で大事ということだ。責任の所在をすべて私にしておきたい。
 何か嫌なことがあったときに周りの人間を恨みたくない。全部、全部私が悪い。
 特にビザの申請は失敗したらイギリスに行けないわけで。
 インターネットの情報を見る限り1人で十分にできるし、何か'が起こった時に責任を押し付けたくない。

 私は申請を自分でやりたい旨をエージェントさんに相談した。
「ご不安なら一つ一つ確認していきましょう。絶対〇〇さんの許可なく勝手に手続きを進めたりはしませんから」
 感じの良い担当さんはそう言ってくれた。面談後、感動でちょっと泣いた。
 やはりエージェントの力は絶大である。渡英前のパートナーだ。

友達は私がイギリスに居ることを知らない。

 ロンドン入りは5月に決めた。なぜ5月だったのか、記録を残していないのであまり覚えていない。多分、気分。
 当選してから渡英までの5ヶ月はずっと無職だった。幸いそれを咎める人は誰も居なかった。
 好きに本を読んで、好きにゲームして、好きに文章を書いて、勉強したいときに勉強して、カレーをスパイスから作って、SNSに作品を投稿して、削除して、お絵描きに挑戦して、香水を買って、お部屋の模様替えをして、シーシャ吸って、バー行って友達作って、日本国内旅行して、美術館行きまくって、のんびりと暮らしていた。

 けれど「イギリスに行く」という大きなイベントに負けて毎日なんとなく体調が悪い。体調が良い時はもともと少ないけれど。
 こんなに好きに暮らしていてしんどいなんて贅沢な奴である。そしてイギリスという異国ではもっともっと、もっとしんどいはずなのである。
 ストレス耐性が低い私は、寛解していた持病が再発してすぐ戻ってこなければならないかもしれない。そう思うと限られた友達にしかワーホリに行くことを伝える気になれなかった。
 2年も期限があるのにすぐ帰るなんか格好悪い、そういう気持ちが心の片隅にあったと白状しておく。
 カッコつけたいお年頃、24歳。

 特にこれといった事件もなく、いよいよ5月中旬。
 イギリス行く実感があまりないまま家族に見送られ、私はロンドン行きの飛行機に乗ったのだった。


 それでは続きはまた今度。
 休日でした。

【今回のヘッダー】花見にわざわざ遠いところに行ったのに、近所にあった桜のほうが綺麗に咲いていた。

次回↓


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