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フラット探しでは正気に戻ってはいけない/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記④

 ご機嫌よう、休日です。
 サマータイムに変わった影響か、このごろ寝付きが悪いです。私は朝方人間なのでやんわりと寝不足。なんとかせねば。

 前回はこちら↓

※ここに書かれていることは全てフィクションです


フラット探しでは正気に戻ってはいけない。

 ロンドンの住宅事情は日本と比べてクソである。
 フラットシェアと呼ばれる家の一部屋を貸し出す方式が普通で、一人暮らしはまずできない。たった一つの部屋に£700とか£800とかを払う。
 今のレートだととんでもないことになるだろうが、一年前のレートでも12万円以上だ。
 正直言って狂気の沙汰である。
 日本に住む多くの人と同じように、私もルームシェアの経験はない。
 部屋探しは渡英前から最も不安だったことの一つだったが、渡英してから探せばいいや、と日本ではブラウジングしかしていなかった。

 私に与えられた猶予は語学学校に通う1ヶ月のみ。渡英直後から部屋探しを始める必要があった。
 とは言え、何をしていいのかあまりわからない。エージェントに連絡? スペアルームの登録? とにかく内見に行く? 友達を沢山作って紹介してもらう?
 とりあえずMixBを開いて良さそうなところはブックマークしてみるが、これだという決め手がない。駅もエリアもよくわかっていないし、仕事も決まっていないし。
 同じクラスの日本人はYMSで来た人だったので、状況を聞いてみた。
「昨日の内見どうだった? 良さそうな部屋だった?」
「いや、行ってない。ドタキャン。マジでやばいよ、80件くらい連絡したんだけど内見までこぎつけられたのが2件」
「そのうちの1件がキャンセルになったってこと……?」
 笑えない。精神的疲労が大きすぎる。
 これを聞いて、多少妥協しても早く決めてしまおうと思うようになった。

内見のフリーライド。

 私はルームシェア・海外生活が初めてだったので、内見の数をこなして「普通」「妥当」のラインを見極めなければならない。
 けれども内見は面倒だ。物件を探して、メッセージのやり取りをして、日時調整をして、ドタキャンされて……。
 そこで私は、同じ時期に渡航してきた人間の内見に着いていくことを思いついた。
 インターネットでは「内見は複数人で!」というアドバイスが囁かれているので、ツイッターで仲良くなった人の内見についていくことはそう難しくはなかった。
 色々な部屋を見られるのはなかなか良い経験だった。当時付き合わせてくれた友達各位には大いに感謝している。

 1件目、部屋がカビ臭い。大家さんがあまりにも英語が通じない。
 2件目、クリーナーが入っておらずキッチンが汚い。フラットメイトの体臭が結構する。
 3件目、風呂場があまりにも古い、シャワーの水圧も弱い。家賃は安いが税金などが別。
 4件目、……

 と、進めていくうちに私にとって重要な点がなんとなくわかってきた。
 個人的に最低限必要だと思ったのは以下のこと。

★税・光熱費などがすべて入っている★
 税金はよくわからないし、調べる時間もない。
 光熱費に関しては賛否あるだろうがフラットメイト達と支払いを割る関係上、ケチな私はドライヤーの長いフラットメイトを蹴り飛ばしてしまう可能性がある。

★冷凍庫がある★
 冷凍庫がない家があった。私はよく食材を腐らせるので、冷凍庫がないと買ってきたものを半分くらい駄目にしてしまうだろう。
 2年間のためだけに家電を買うのもいただけない。

★ルールが詳しくない★
 単純に面倒なのと、ルールを破っただ破っていないだで揉めたくない。
 ルールが多い家はだいたい「ボス」みたいな入居の長い人がいて、その人がフラット全体を仕切っている。人の機嫌を取るのは疲れることだ。

★匂いがない★
 これは本当に衝撃的なことだったが、考えてみれば当然だ。人が暮らしている家なので、いわゆる「他の人の家」の香りがする。
 匂いが合わないところでは暮らせない。

 これさえクリアしていれば許せる、という条件をエクセルでリストアップしておく。
 ここに至るまで自分の内見はゼロ。いざとなったらエアビーでも利用して猶予を伸ばしてやろうと思っていた。
 部屋探しにおいて最も一般的なスペアルームすらも登録しないまま、MixBをだらだらと見る毎日。
 ある日、ツイッターのリツイートで部屋の借り主募集が回ってきた。今までツイッターで見つけた部屋の中で一番広かったので、ノリでDMを送って内見を決めた。

 内見には一人で行った。もし良い部屋だった場合、他の人に取られたくなかったからだ。ツイッターやMixBは日本語でアクセスしやすいので、隣の日本人の友達がライバルとなる。
 当日はよく晴れた日で、グーグルマップを見ながら最寄り駅についた。路線はセントラルに出やすくて良いと感じた。
 内見時間が少し遅くなる旨の連絡があったので、駅の近くにあったTKMaxxでバラの香りのボディーパウダーを買った。乾燥肌のくせに夏は汗疹ができるのでパウダーは必要だ。うん、いい香り。
 掲載主に会い、少し緊張しながら家に上がらせてもらう。階段が狭い。匂いは合格。
「屋根裏だから天井が斜めなんです。でもいい部屋だと思います、綺麗だし」
 ここだ、と部屋に入った瞬間思った。
 日本で住んでいた部屋と遜色なく広く、風通しも良い。斜めの天井部分にある天窓から太陽光が部屋に差し込んで、ホコリがきらきらと舞っていた。
 ハイジだ! アニメでみた、干し草に横たわりながら星空を見つめる少女を思い出し、屋根裏という非日常感に圧倒される。
 だって、日本でこんな部屋住むわけ無いもの。

「ここ、住みたいです。大家さんの口座を教えて下さい!」

自分の直感を信じる。

 私の後にも内見が入っている話は聞いていたので、今どのくらいの人数がここに興味を持っているのか聞いてみた。
「問い合わせは結構入ってますね。内見は今のところ4人くらいかな」
 私は友達と夕飯を食べた後寮に戻り、クリーニングが入ってさっぱりとしたベッドの中で考えに考えた。
 あの部屋を勝ち取るためにはデポジットを早く振り込む必要がある。一晩寝て考えて、もし明日の朝にまだあの部屋に住みたければ、もう決めてしまおう。
 私の心が動いたのなら、それはきっと運命だから。

 翌朝。DMに大家のソートコードが送られてきていた。
 私は覚悟を決め、その日の昼に学校のカフェテリアで騒ぎまくり(送金の仕方がわからなかったため)、数人がかりでWiseの送金を終わらせた。一時間もしないうちに私の部屋は決まった。
 達成感というよりは、もうあとに戻れないぞ、という後悔に似た感情が沸き起こった。ソファでぼーっとしていると、友達の一人が近づいてきてどうしたのか聞いてくる。
「家のデポジットを払った。こんなに大きなお金を動かすのは初めてだから、すごく神経質になっている」
 銀行で働いていたらしい彼女は鼻をふくらませた。
「そんな額! 私は自国でそれの100倍のお金を動かしている!」
 だからなんだってんだ、それお前のお金じゃないだろ。
「ま、ここに住むって決めたのはあなたでしょ。ただやる、それだけだよ」
 なんだアイツ、励まし方が独特。と思いながら、もそ……もそ……と昼食を食べる。
「元気ない、どうかした?」「ハイ、今日は遊びに行かないの? 珍しいね」
 沢山の人が集まってくる。私は家賃を支払ったことを話した。
「ものすごく大きなお金だよ。だってこれだけの額があれば何ができる? いくらでも買える、本も、服も、アクセサリーも、香水も……」
 私は震える言葉を止めた。涙が溢れ出していた。
 家賃の2ヶ月分、ざっと30万円。大きなお金だ。私は稼ぐ能力がないのに、こんな無駄遣いばっかりして。日本で大人しく静かに暮らしていれば良かったのに。
「泣かないで」「大丈夫?」「悲しかったんだね」
 こんなに人前で大泣きしたのは物心がついてから初めてだった。
 それはきっと私の感情に周りを巻き込めるかの実験だった。この時演じている「外交的な私」が多分そうするだろうと思ったから、涙はあえて止めなかった。
 だから抱きしめられても、いくら言葉をかけてもらっても負の感情はどうにもならなかった。
「私はあなたのこと応援しているから」「あんたはすごいよ、大丈夫だよ」「私にできることがあったら言ってね」
 口々に皆が励ましてくれる。じゃ、お金ください。とりあえず100万円でいいよ。

 デポジットを振り込んだのは6月1日のことで、渡英してから約2週間で家を決めたことになる。
 周りの話を聞いていてもこれくらいが平均だと思う。中には3日で決めた猛者も居るが、全ては運のものなのであまり焦らずに、けれども情報は逃さず部屋探しをしてほしい。

1年近く住んでみて。

 総合的に言って、私の直感は正しかった。
 フラットメイトの入れ替わりはありつつ常識があり和やかな人ばかりで、プライベートでも仲良くさせてもらっている。
 専業主婦の大家が家にいるため宅配は頼み放題。週1で掃除もしてくれる。言えば扇風機や暖房、その他必要なものを与えてくれた。
 ただ家賃が安くはないのと、日本人が少ない地域なので友達のご近所さんは少ない。月£500で住んでいる人や日本人街に住んでいる人の話を聞くと、少し羨ましく思う時もある。

 周りの話を聞くと、やれ掃除当番がどうの、キッチンの使い方がどうの、大家が口うるさくてどうの、隣の人間が壁を蹴ってきてどうの、セクハラ・追い出し・家賃の大幅値上げ・カビや雨漏れ・シャワーの順番等など様々なトラブルを聞く。
 今後これらの問題が起きないとは言い切れないが、フラットメイトや大家が信頼できる人たちなので大丈夫だと思っている。
 私は余程のことがない限り、イギリスを出るまでこの家から動けない。

 そんな具合で良い条件の部屋に住んでいる私だが、語学学校で泣きしゃぐったあのときの気持ちが消えたわけではない。
 月に約15万、日割りで5000円。息をしているだけでこんなにお金がかかっていいのか。そんなにお金をかけるほど、価値のある時間を過ごせているのか。
 毎朝、毎晩、毎秒のように自問自答している。
 今日は家賃の支払日。
 決して「この額出すなら東京でもそこそこ良いマンションに住める」などと正気に戻ってはいけない。
 振込後の銀行残高を見ないようにして、今日も5000円分の一日を始める。


 続きはまたの機会に。
 休日でした。

【今日のヘッダー】*春うららかな気候のハイドパーク。今週は少し寒いけれど、もう少ししたらピクニック日和です*

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