かわいいと多様性

最近、すごく美意識が高い同世代の女の子が増えているなと思う。そういう子達の中には、立派で論理的な自分なりの理論を持っていて、可愛くなることの重要性を訴えてくる子もいる。特にインターネットの世界ではその意見がすごく目立つし、だから沢山いるように感じる。

一方私は現在17歳の高校三年生だが、美意識の低い女である。でもきっと自己肯定感ってやつはそんなに低くない。100人に私の顔を見せて、かわいいというのはせいぜい三人くらい(それも親世代)かと思うが、自分でもブスだなんて言ってしまったら悲しい。自分ぐらいはまあそこそこいいじゃん人並みでしょ?と思いたい。ていうかブスって言う言葉にずっとすごく抵抗がある。一度も使ったことがないとかそういうわけではないが、小学生のとき知ったチクチク言葉の代表格みたいで、言葉に出すのにすごく抵抗がある。きっと小学一年生のときの担任の先生の伝え方が良かったんだろうな。ありがとう。

話を戻すが、端的に言えば美意識が高い女の子が多すぎて窮屈に感じることないですか?と言いたいのである。

多様性を訴える世の中で、この動きは逆の方向に向かっているなと思う。誰もが「かわいい」と認める絶対的ななにかがあって、そこへ向かってみんなが進んでいる。生まれたときからその中心の近くにいた人は羨ましがられ、遠くにいたところから近づいた人は同じ場所を目指す多くの女の子の憧れとなる。もちろんそれはその人の努力の証だし、努力し続けられるその精神力が羨ましいと純粋に思う。

でも理想を言えばみんな、生まれた場所のままで愛されたい。多分。少なくとも私は。

それが難しいから絶対的なかわいいに近づこうと努力する。その動きが正解かどうかは一旦置いといて、その時可愛くないを悪だと言ってほしくないのである。

この文章だってもし美意識の高い女の子に届いたならばそれはあなたが可愛くないからでしょ。屁理屈じゃん。可愛くなればいいじゃんって言うだろう。それも一理ある。でも、可愛くない=悪だと割と本気で思ってる女の子が世の中にも周りにも多すぎて窮屈な時がある。その子達はストイックすぎて、可愛くなる努力をしない他の女の子は自分より劣ってると心のどこかで思ってるんじゃないかな〜と思っちゃう。これもまあ努力しない自分に勝手に引け目を感じてるだけなのかもしれないけど。それで何かのきっかけで努力する側に回ると私がそういうことを思うのかもしれないけど。

多様性多様性ってみんなが口を揃えて言うけれど、容姿に関しての多様性は、ある程度の「かわいいライン」みたいなものを超えた上で、特徴的なファッションやメイクをしている人を見た時しか言わないじゃんって思う。

かわいいが正義ならそれでもいいけど、可愛くないは別に悪では無いでしょう?ウェアイズ多様性。生まれたままでみんながみんなを愛せるようになりたいね。

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