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「こんな風に過ぎて行くのなら」に参列

浅川マキさんに献花!(10年3月10日) 浅川マキさんの「ちっちゃな時から」「裏窓」「少年」を好んで聴く。父危篤(約30年も前)の連絡があり帰省するとき、早朝の地下鉄ホームに彼女の「夜が明けたら」が流れていた。これも思い出の一つか。

そんなマキさんが、1月17日夜、名古屋市内のホテルの浴室で死亡した。67歳。葬儀は20日、故郷の石川県で親族のみで執り行われたという。その日は公休だったので、朝から飽きもせず彼女の歌を聴き続けた。

「かもめ」「夜が明けたら」「ふしあわせという名の猫」「淋しさには名前がない」「ちっちゃな時から」「前科者のクリスマス」「赤い橋」「雪が降る」「愛さないの愛せないの」「少年」「眠るのがこわい」。

「花いちもんめ」「ゴビンダ」「めくら花」「わたしが娼婦になったなら」「朝日のあたる家」「裏窓」「こんな風に過ぎて行くのなら」「セント・ジェームス病院」 「忘れたよ」「ジンハウス・ブルース」。

3月4日、仕事が終わった後、新宿に行き、浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら」(お別れの会)に参列。長年のファンとして献花をしてきた。

デビュー前? の68年から彼女の歌を聴いている。新宿、池袋、作詞作曲、トーク、黒い衣装、薄暗いステージ、酒に煙草、すべてが新鮮だった。

煙草が似合う人でした(11年2月15日)田村仁写真展 浅川マキ「灯ともし頃」(紀伊国屋画廊)を見るため新宿へ。未公開を含む50枚ほどの写真、3冊のアルバム、30~40年前のポスター、チラシ、マキさんを紹介した新聞記事など盛りだくさん。 

第3次佐藤内閣時代のものか? 某大学で行われたコンサート。マキさんが白墨で「全学ストライキ」「清水谷公園から国会へ」と書かれた黒板の前に立っていた。 

展示された写真の3分の1は、煙草をくゆらしている。ステージ上を見ても、床の灰皿に吸殻が数本。これなど写真でなければ気がつかない。愛煙家で煙草のよく似合う人でした。

田村氏は、写真嫌いだったマキさんをデビュー時から撮り続けてきた。展示写真を無断で撮るのは失礼なので、帰り際スタッフから、画廊の外にある写真展のポスターを貰って帰りました。

※写真は田村仁写真展のポスターから

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