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駐在所はあったが、幼稚園はなかった

駐在所はあったが、幼稚園はなかった。給食もなければプールもなし。中学のころ駐在所も姿を消した。こんな話をすると「私のいなかの小学校では給食ありましたよ」と妻に自慢された。

息子は公立の幼稚園に通ったが、仙台に引っ越して私立の幼稚園へ。さすがは私立、園服や帽子が公立の時より格好いい。中学の同級生に「俺も幼稚園に行きたかったな」と言い笑われる。

いなかに保育園が出来たのは9年前。それまで臨時の短期保育園として甘んじてきた。先日、交通安全教室の記事を読む。2歳~5歳までの園児が信号の見方と横断歩道の渡り方を学んだ。

横断歩道あったかな。信号機もあまりない。でも、学んだことを忘れないでね。保育信念は「定員20人という少人数の保育園ならではの異年齢児保育を行っている」。いい点はこの辺りか。

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