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人生の密度が違うのよ

10歳のときの休み時間、10分だか20分しかない限られた時間の中で鐘が鳴るまで校庭で遊んだ。冬は寒いのでストーブの前にいることもあった気がする。

今10分の休憩を与えられたとしたら、タバコ吸ってトイレ行って終わりだろう。仮に禁煙してもスマホをいじって終わるだろう。

人生の密度が違う。10歳の1年は生きてきたうちの1/10。そりゃあその頃に出会ったワクワクすること、衝撃的なこと、忘れられないよ。30歳の1年は、10歳の頃の1年と比べて1/3の密度だ。小1年から小6までの6年と、30歳から36歳までの6年も、“人生比率”だと全然密度が違う。

歳を重ねるといろんなことに慣れてきて、いい意味では落ち着きが出る、できることが増える、より物事を大きくできるみたいなスキルが身につく(かどうかはあなた次第)。逆にいろんなことに慣れてくると昔味わった“感動”とか“衝撃”はなかなか味わえない。
※逆に言うと子供の頃の怖い経験とか辛い経験は大人が考える以上にショックが大きい可能性もあるね

感動がゼロになるわけじゃないけど、なんかこう、構えちゃうのだ。30代は狭間なのか、昔と同じようにはしゃいでてもなんか変に見られそうな気がする。本当はそう見られたくないんだけど、たぶん昔の自分が年上の人に対して思ってた小さな気持ちを今の自分が食らってるんだろうな。

海外に行くと日本人は若く見られる。ただあんまり若く見られても実年齢を言うときになんだか気恥ずかしくなるから嫌だ。なのでいい感じに歳を重ねたいなと思う今日この頃である。

20歳かそこらの頃、スコットランドのユースホステルで出会ったジョーというロッククライマーのおじさんは何歳だったんだろう。髭が生えてて白髪混じりのロン毛を結んでるタイプのナイスなアメリカ人だった。話し方がファンキーだったので40代だったのかもしれないが50代くらいにも見えた。いわゆるおじさんだ。あんな感じで歳を重ねるのっていいなと、20歳かそこらの私は思ったものだ。

我が道を行く人と対峙したときは、自然とおじさんだろうがなんだろうがその人自身を見つめるようになる。そういうことだろう。自分と向き合えていれば我が道をいけるし、やりたいことを叶えるために体だって鍛えるだろう。

我が道をいって膝を壊したなら、それは精神が若いからもう少し落ち着けと体が教えてくれてるんだろう。

おじいさんになったら今よりファンキーでいたいな。理想のおじいさん像はまだない。

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