SNSがもたらした「多様性の時代」の光と影

人間は、情報で動く。そして情報はメディアを通じて人に届く。つまり、メディアが変われば、世の中は変わる。

2010年頃からスマートフォンとSNSがキャズムを超えて普及し、メディア環境が激変した。そのときに起こった世の中の変化についての考察覚書。

2010以降のメディア環境の激変

具体的に、メディアはどう変わったのだろう?

マス的なトップダウン型メディアから、

インターネット的なボトムアップ型メディアへと移り変わっていった。

結果、どうなったか?

「多様性の時代」が到来した。

これまで無視されてきた少数派の意見が、ボトムアップ型メディアを通じてその本人の声で多くの人に届けられた結果だ。

LGBT・黒人・・・

事実、世界最大の広告祭カンヌクリエイティビティフェスティバルの受賞作においても、大半が多様性を背景のテーマに置いているように見える。

小さな声が、大きな力を持つようになった。

これは、素晴らしいことだ。

しかし、常に光は影をつくる。

「多様性の時代」は、言い換えれば「分断された価値観の時代」だ。

「多様性の時代」がもたらす「価値観の分断」

多様な価値観が世の中に増える、ということは、理解しかねる価値観が世の中に増える、ということでもある。

理解しえない価値観が目の前に現れた時、我々がとれる姿勢としては大きく言えば以下の3つだろう。

1.受容:共感し、自らにその価値観を取り入れる。

2.認知:共感はできないので、その価値観をただただ認める。

3.否定:共感できないので、否定・対立する。

1・2は理想的な”正しい”対応として誰もが理解できる。

しかし、人間いつでも正しくいられるわけじゃない。

きっとどこかで無理が生まれる。

日本よりも先に多様性と向き合っていたアメリカでは、なにが起こったか?

トランプ当選=”正しさ”への疲れ

オバマ大統領は、まさに多様性のアイコンだ。

そして、そのあとに多様性の真逆をいくトランプ大統領の当選。

この背景にはなにがあるのだろうか?

それは、正しさへの疲弊があるのではないか。

「差別は良くない」

「富を世界に分配しよう」

などオバマ大統領は常に正しかった。国民はそれを称賛した。

しかし、その賞賛の声に押しつぶされた不満が背景にあった。

その不満を見事に言語化・施策化して、多くの国民の支持を得たのがトランプ大統領なのではないだろうか。

正しいことをすればするほど、正しいことを正しいとまわりが称賛すればするほど、不満はどんどん大きくなっていく。

これから日本で起こること

日本は単一民族による島国で、これまでもっとも多様性と縁遠い国だった。しかし昨今では、LGBTのニュースが飛び交うようになり、少数派への理解も進みつつある。

さまざまなニュースやSNSでのリアクションを観てると、絶対的にLGBTへの理解を示すことが”正しい”こととして捉えられている。

もちろん差別はなくなるべきだし、個人的にも正しいと思う。

しかし、その正しいもの扱いに不満を抱く人がこれからどんどん増えていくだろうと思う。

その不満が、アメリカではトランプ大統領当選という結果として現れた。

日本では、どういうカタチで現れるのだろうか。