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「いい写真」と「”いいね”な写真」

写真をよく撮る。撮った写真は主にInstagramにアップしているのだけれど、常々思う。「いい写真」と「”いいね”な写真」は違う。

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SNSを回遊していると「”いいね”を集めるような写真は何も映っていない、もっといい写真が評価されるべき」という声を見かける。

しかし、そもそも「いい写真」とはなんだろう?

この問いを考えるにあたって、メディアとコンテンツの関係性がヒントになる。

メディアとコンテンツの関係

メディアとコンテンツには、密接な関係がある。

たとえば、テレビでウケる番組とYoutubeでウケる番組は違う。

たとえば、小説におけるいい文章とTwitterにおけるいい文章は違う。

つまり、メディアによって受け入れられるコンテンツが違うのだ。

それを表す現象として、「インスタ映え」が流行語大賞に選ばれたときにTwitter上で「#Twitter映え」というハッシュタグが生まれた。

”いい”コンテンツってなに?

結論をいうと、それぞれのメディアで多くの人に称賛とともに受け入れられるのが「いい」コンテンツだと僕は思う。つまり、絶対的にいい写真というのは存在せず、それぞれのメディアにあったいい写真がある、というだけのことだ。

一般に「いい写真」といったときのいい写真というのは、暗黙のうちに旧メディア的なものを前提していることが多い。背景に文脈を抱えていて鑑賞者に考えさせるような写真。雑誌でみるようなコンセプチュアルな写真。

そんな写真をいい写真だと考える人が、InstagramやTwitterでいいねを集めている逆光キラキラ写真を見て憤る気持ちもわかる。

「なぜこんな見た目だけの薄っぺらい表現が受け入れられるんだ?」

それは、Instagramが軽薄なメディアだからだ。スマホによって写真が世の中に溢れ、写真に対する鑑賞態度は軽薄になった。現代において写真は、美術館でじーっと向き合うものではなく、SNSのタイムラインで友達の画像と同時にさっと見るものであるものである。そう考えると、これまでと違う写真表現が受け入れられるのは至極当然と言える。

昨今的メディアにおける写真表現は「パッと見の綺麗さ」が最重要課題となる。そのなかに含まれる意図を読み解いてくれるほど、鑑賞者は時間をかけてくれない。

メディアごとに適切なコンテンツ表現がある。メディア特性とコンテンツ表現は、同時に見ないと”いい”かどうかはわからない。

濱田英明さんの展示"What is good photography?"について

こうしたテーマに対して、分析も表現も行う写真家の濱田英明さん#もしもSNSがなかったら展 という展示会で”What is good photography?”という作品を展示している。企画意図の一部を以下貼り付ける。

(急速なメディアの変化の話を受けて)めまぐるしい変化のなかにおいてももしそれが「良い」写真であれば、メディアやデバイス、そしてプラットホームに頼らない力を持ちえるのか?と。そもそも「良い」写真とはなんでしょうか?(中略)本展では、この一枚の作品をできるだけさまざまな方法で見ていただけるようにしました。たとえ見え方が変わったとしてもその写真が得る評価は変わらないのでしょうか?もしそれがほんとうに「良い」写真であるならばどんな方法で見ても同じように「いいね」なのでしょうか?写真とはどうあるべきなのでしょうか?本作品をこのようなかたちで展示することが、それらの疑問について考えるひとつのきっかけになればと願っています。 もしもSNSがなかったら、あなたはどんな写真を撮りますか?

この企画意図とともに、様々なメディアで同一の写真が掲出されている展示。

Instagramで人気を得た写真を、PCやTシャツなどマルチメディアに掲出した展示だ。これらの作品を通じて「メディアを超越するような”いい”写真は、存在し得るのか?」について、考えるきっかけを与えてくれる。

とても行きたかったのだけれど、気づいたら終わっていた…悲しい。

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2019-03-04追記

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伸びているので追記します。

マーシャル・マクルーハンはこういいました。

「メディアは、メッセージである。」

人間の経験様式を規定するのは、コンテンツではなく、メディアそのもの。つまり、メディアが変われば、その経験様式にあわせてコンテンツも変わるべき。

お皿が変わったのならば、そのお皿に見栄えのする料理を提供しなければならない。そして、工芸技術によってお皿の形は刻々と変わっていくので、結果として料理の盛り付けも変わっていく。

スマートフォンという新しい”お皿”の登場により、あらゆる分野の表現において変化が起きている。

テクノロジーはメディアを変え、メディアはコンテンツを変える。

・・・ちなみに。

ここでは、普及したメディア特性にあわせてコンテンツ(表現)も変わっていく、という旨の話をしているが、実は逆のパターンも例外的にあった。

つまり、コンテンツがメディアを規定するというケースだ。

それは「CD」。CDの最大再生時間は74分だが、これはベートーヴェンの第9の長さが74分であることに由来すると言われる。

https://www.kanzaki.com/music/cahier/cd74min

こちらの記事も興味深いので、ぜひあわせてどうぞ。