【32歳】なにをやったかより、どう向き合ったのか。

年末になってしまいましたが、毎年10月の誕生日前後に書いている振り返り。

29日に毎年恒例のTeach For Japanのメンバーと振り返り会を行いました。毎年、自分が一年どんなふうに過ごして来て、来年どんな風になりたいかを語り合います。周りからの質問を重ねることで考えが深まっていく。自分が思ってたのと同じように、みんなも「この場で口にしたことが自分の次の一歩につながっている」と話していて、とても良いコミュニティに恵まれたなと改めて思う。それぞれが様々なフィールドで新しい挑戦をしていてとても刺激になっています。

同時に、今年は自分側の大きな変化を感じました。みんなの話を聞きながら、自分が興味を持つことが、その人が「なにをやったか」より「どういう人間に成長したのか」に大きくシフトしていたのです。

それぞれが前向きに社会や目の前の人に対して価値をもたらそうとしている。そして、フィールドは違うけれど、大なり小なり類似した問題にぶつかっている。自分がやっていることの正しさへの不安、周囲の人との人間関係、理不尽な社会や環境。それらの問題にどう向き合いどう乗り越えていくのか。挑戦した内容や実現した内容は、偶発的な出会いや機会にも依存する。しかし、遭遇した問題に、自分自身がどのように向き合い、何を受け入れ、何を諦め、どう自分を変化させたのか、人間としての成長は環境によらない。生きる姿勢の選択です。教育という類似した分野にいれど「何をしているか」それぞれの専門性やフィールドが変わってきた中で、もっとも相互に研鑽し合える部分なのではないかと思います。

最近、昔の友達と会うと昔ほど話が盛り上がらないなと思うことがあったのだけど、我々の年代になると分野の違いが顕著になってきているからだと思います。そんなとき「なにをしているのか」ではなく、「人間としてどう成長しているのか」に意識を向けると、分野が違っても刺激を与え合えると思う。

例えるなら、野球選手とサッカー選手が語り合った時、おそらくいま練習しているプレーではなく、プレッシャーとの向き合い方やチームメンバーとの協働の仕方など人間力の話題で盛り上がるのではないか。

今年は自分も大学院に通い始めたり、新しい仕事に取り組んでみたり、教室をつくってみたり、新たな人との出会いや機会にも恵まれ、多くの「やったこと」があってとても充実していたけれど、振り返るべき重要なことは「何をやったか」ではなく、「どんな人間になれたのか」そして「どうなりたいか」だと思う。肩書き・実績・やってることはあくまで表面的なもの。それを取り払ったときに自分に何が残っているのか。自分はどんな人間的魅力を持ち合わせられているのだろうか。裸の王様になっていないだろうか、自分を振り返る必要がある。

20代まではどうしても自分が「何をしたいのか」に意識が向いていた。でもそれが満たされて、なのか、歳をとったからなのかわからないけど、「何をするか」よりも「どういう人間であるか」が重要であると考えるようになった。20代に書いたやりたいことリストが、留学して、20カ国を旅して、海外で働いて、教員をやって、塾つくって、大学院に入って、やりきれたからかもしれない。表面的な挑戦を続けつつ、本質的には自分の内側への挑戦なんだと思う。

今年は(というかここ1~2年)、新しい挑戦もしてきたけれど、少し安全地帯に閉じこもりすぎていると感じる日々を過ごしています。塾を創業して3年を終え、”そこそこ軌道に乗った状態”にあり、社長の地位にあり、塾にしても研修講師の仕事にしても「先生」と呼ばれ、大学院にいっても社会人経験の蓄積でそこそこ上手くこなすことができ、年下が多いのでみなさん気を遣って関わってくれる(年上の方もあくまでお互い学生なので厳しいフィードバックはない)。

大学院では特に二つの授業から刺激を受けました。

一つが「M&Aの理論と実務」。授業の内容も素晴らしかったですが、一番の刺激は先生の言葉をそのままに「Get things done」。プロとしてやるべきことを完了させなさい、ということ。先生自身の授業に対する姿勢、コンテンツの完成度、立ち振る舞いのすべてがこの言葉を体現していた。そんな人間になりたいと思った。

もう一つが「経営哲学」。「大人の道徳」とも言える。渋沢栄一の公益を第一とする「道徳経済合一説」といった道徳性の高いリーダーの考え方から、アダムスミスといったのような学者の人間や経済の考察、倫理学的な教材まで、幅広くインプットをしました。正直、まだ昇華しきれてないのですが、「どう生きたいのか」を考えさせられる授業であり、「正しく、善く、生きたい」と思わされる授業でした。
先生のメッセージは、渋沢が残した「公益第一、私利第二」であった。(私利は、第三・第四ではなく、第二であることもポイントであることも印象に残った。)また、最後の授業で、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」から引用された「小さな死を積み重ねる」はあまりにいまの自分に必要な言葉で強く印象に残りました。

”小さな死”とは、自分のわがままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒くさがらず笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなど、自己中心的な自分との絶え間ない戦いにおいて実現できるものなのです。

この1年、大学院でたくさんの知識を得たけれど、「プロフェッショナルとして仕事をすること」=Get things done、「成熟した人間になること」=小さな死を積み重ね、公益第一私利第二で考えられる人間になること、目指すべき人間像としての指針が得られたことが大きな宝物になった。

今年も貴重な学びの機会と素晴らしい人との出会いがあったことに感謝して、来年も1日1日を大切に過ごしたい。

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