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ミラー<Mirror>鏡のない世界

もしも、鏡がなければ、どんな世界になっているだろう。

当たり前のように朝起きて、鏡の前に立てば”自分”は存在する。
そして、鏡を通して自分を見つめ、振り返る。
1日の始まりを前に今日という日を積み重ねていく準備をするために。
または1日の終わりに”明日をより良くするため”の準備をするために。

かの有名なスティーブジョブスでさえ、自分自身との対話を鏡ごしに行っていることを告白している。

私は毎朝鏡の中の自分に向かって「今日が人生最後の日だとして、今からやろうとしていることを私はやりたいだろうか」と問いかけています。

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でも、もし鏡がなければ、どんな世界になっているだろう。

自分自身を振り返るためにどうすべきか。
自分が自分であるということをどうやって確認すべきか。
また、自分であるという証明はどうやってできる?

なりたい自分を模索するという人間の本質的な欲求はいつの時代も変わらぬままだし、良くも悪くも”自分らしくいたい”と願うのもまた不変だ。

もしもそれを知る術が世の中になかったとしたらどうするべきか。

答えは一つしかない。
それは”他人”だ。

他人こそが自分を映し出す鏡、になりうる。

自分が丁寧に接すれば、きっと相手も丁寧に接するよう努めるだろう。
自分がぞんざいな態度で接すれば、きっと相手もそれなりの対応しかしないだろう。

一見当たり前のことではあるが、その当たり前すぎる事実ゆえ、人々は忘れがちになる。

インターネットや技術進歩によって、繋がる人々の総量は急増し、コミュニケーション量、情報量も夥しいほどに増加した。その環境下においてはこれらの”当たり前のこと”が蔑ろにされやすい環境になっている。

総量が多くなれば、相対的にコミュニケーションは雑になりがちだし、相手を気遣う気持ちも希釈されていく。

その薄められた視点からでは”自分を映し出すはずの他人の鏡”を曇らせることになるし、ひいては自分自身をも見つめ直すことが困難になる。

もし鏡がなければ、”自分自身を写す他人の態度”をみれば良い。

人に足りないことはいつだって人が教えてくれるものだ。
そして、もっと身近にいる他人を大切にできれば良い。

もしも、鏡がなければ、人の大切さに気づくだろう。

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