NO 〇〇 NO LIFE ②
その頃の彼はただの生主であり、ただの大学生でもあった。
なぜそんな彼に私は惹かれたのか、それは話の面白さや配信に対する熱量、そして私と同じ秋田県出身というところだった。(かもしれない)
どんな人なんだろうかと興味が湧き、タイミングが合えば必ず配信を聞いた。
そして……
完全体セルは消えた
ほかの生主によって火がつけられ、プチ炎上した結果全てのアカウントを消していたのだった。
その配信は深夜に行われ、既に眠りについていた私は朝起きて、録画配信を聞いて事の顛末を知り、ショックを受けた。
暴露の内容ではなく[完全体セル]が消えたことがただショックだった。
しかし……彼の復活劇は早かった。
アカウントを消してからあまり日にちは経っていなかったと思う。1ヶ月も経っていなかったような気がする。
[完全体セル]は[かんせる]として復活をした。
完全体が完全体ではなくなった。
かんせるとして吹っ切れた復活をした彼は、以前から歌ってみたを投稿していたが、更に力を入れて投稿数を増やして行った。
それと同時に生放送の数は減り、歌ってみたから流れてきた女性リスナー向けに逆凸や下ネタは影を潜めていった。
それでも私は配信をしてくれること、歌を投稿してくれること、それらをまた続けてくれたことが嬉しかったので「コミュ抜けるわ」「ファン辞めるわ」みたいな気持ちにはならなかった。
そして2013年11月、かんせるは初めて歌い手のライブに出演をする。
お金はなかったけれどどうにかこうにかライブのチケットを取り、初めて1人で東京へ足を運んだ。
初めてのライブ会場、初めての生かんせる……ほぼ1番後ろで絶妙に目が悪い私はあまりよくわからなかった()
終わってからの物販や交流の時間はなく、私はそそくさとライブハウスを後にした。
2回目のライブは翌年2014年の7月
そのライブでやっと近くで彼を見ることが出来た。そしてライブ後の交流会で話すこともできた。
そこから[かんせる]は今(2019年9月)までに40近くのライブやコミケ、イベントに参加している。ほかの歌い手のCDへの参加、自身のCD発売、バンド活動(昨年に解散している)も行うようになった。
そして私は初めてのライブ参戦を皮切りに、お金が無い状態でも、ほぼ全てのライブに参戦し、時には大阪まで出向くほどには[かんせる]一筋になっていた。
彼の何が魅力なのか語れと言われたら…正直答えられない。
でも[完全体セル][かんせる]を知ってから約10年。
音楽もあまり知らない、根っからの引きこもり、コミュ障陰キャの私が家の外に出て、時間とお金をかけて東京に行き、ライブで拳と頭を振りたいと思えるのは『かんせるだけ』だとハッキリ言える。
自己紹介タグを付けておいて、かんせる紹介記事のようになっているけれど、他に趣味といえるものがない私にとっては彼がいることで音楽を聞く機会が増えたし、1人で出かけることも増えた。
彼がいるから今の私がいると言っても過言ではないのだ。(過言ではある)
NO MUSIC NO LIFEというよりNO KANCELL NO LIFE()
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