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裸の履歴書vol.10~濃密な刻

 どこか自分を物語の主人公に置き換えていたのかもしれない。大人になってから学ぶ自分。親子ほど年の離れた子と机をならべて授業を受ける自分。元プロアスリートが学校に通うことが話題になる。ニュースになる。そんな常に自分本位な発想の下の専門学校入学であったと記憶している。まったくもって目立ちたがり屋である。

 入学して驚いたことのひとつに、クラスメイトの大半が「なんとなく」専門学校を選択していたことだ。聴くと、「本当は大学行きたかったけど、そこまでの学力じゃなかったから…。」「すぐ就職するのも…。」そんな感覚からなのか、授業中の居眠りや遅刻欠席も頻繁にある。

これを学ぶ(目的)ためにこの学校に通う(手段)

要するに目的と手段が違っているのである。

 明確に将来を見据えていた自分と比較して、なんとぬるいんだと思ったものである。肝心の授業内容はというと、自分のリサーチ不足もあって、イメージしていたトレーニング関連の内容が薄く、救急処置や外傷・障害に比重が傾いていた。それでもスポーツ整形外科領域に魅了され、傾倒していった。

この分野を知りたいから…調べる、読む、考える

といった行為が本来の勉強とはこういうことを謂うのではないか?

 知ることの素晴らしさ、勉強することの晴らしさをようやく理解した貴重な時間。授業・実習・アルバイトの3本柱に精を出すこと二年半の月日が流れる。

 かくして、人生初の就職活動(二か所)は失敗に終わる。三年かけて勉強した、公認アスレティックトレーナー理論試験に落ちた。

 人生、思い通りにいかないことが多々ある

 今までの人生から挫折には慣れっこである。と思ってはみたものの…まあまあショックであった。

 今確実に言えることは、あの三年間(2013~2015年)はかけがえのない時間であった。クラスメイトを反面教師に、世の親と呼ばれる人々に対する敬いが芽生え、学ぶことの悦びを味わいと、勉強嫌いだった学生時代を帳消しにしてしまうほどの濃密な刻であった。

 ありがとう、青春。

 ものわかりがよくて、察して、目立ちたがりで、真面目で、ダサいことが嫌いで、うっすら支配している空気が嫌いで、冷静で、ひねくれもので、エネルギーの方向が違っていて、つまずいて、めんどくさいやつで、引き際が潔くなくて、いい歳していい経験して、勉強の素晴らしさを知り、

 つまりは、我思う…「可愛げのない学生」だった。

続く

1975年7月17日 青森市生まれ  

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