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緑の香りが鼻を掠める、黄金色の寂寞を優しさが包む

トルコの南東部、マルディンに来て半日が過ぎた。お昼ご飯を食べよう、とKemarが言ったので、レストランへ向かった。マルディンの旧市街は、どこを見ても黄金色に輝いていた。砂造りの建物が通りの向こうまで連なっている。時折見られる、建物の屋根に広がっている葡萄の葉は日の光に照らされて宝石のように眩しかった。知らなかった場所に来た、それは寂しいことではなかった。人々が歩いている、それぞれの店番の人と話す声が聞こえる、建造物や向こうに見える山の美しさが心を揺らす、乾いた土の匂いが自分を通り抜けていく、それらが自分の体の中に沁み入っていくのを感じると、それだけでもう私は本当の意味で独りではないと思った。

マルディンの旧市街

レストランに着くと、テラス席へ案内され、マルディンの郷土料理がのったプレートを注文した。
「トルコはどう?楽しい?」
「楽しいです、神学校やモスクはどれも美しくて、人もみんな優しいです。」
「トルコを素敵だと言ってくれて嬉しい。よかった。」
そう言って、Kemarは、食べて食べて、と手を差し出して私が食べるのを遠慮しないように、気を配ってくれた。
マルディンの郷土料理は、スパイスの香りと、そこにチーズの酸味と爽やかさが加わった、トルコの風を感じるような料理だった。
「おいしいですね。イスタンブールのレストランで食べた料理とはまた違う味付けで」
仕事だからこうして案内してくれていることは重々分かっていても、やはり、誰かが見ず知らずの自分に、地元の良さを教えてくれて、暑い中を一緒に歩いてくれるのは嬉しいと思った。

マルディンの旧市街。路地の中にて


プレートのおかずを2/3ほど食べ終えた時だった、
Kemarが「よかったら私の家族に紹介したいから、一緒に家に来てくれないか」と言った。
一瞬、『本当に家族と住んでいるのだろうか、もし1人暮らしで、家に連れ込まれたまま何かあったら』と頭の中を思い巡らせた。外国に行った時に家に来ないかと言われることは少なくないが、最初に頭を掠めるのは疑いになってしまう(外国に行かなくても日々の中でこうしたことを言われたら大体疑うけれども)。
「Kemarの家には誰が住んでいるんですか?」
と聞くと、母、妻、子供、妹の家族だそうだ。
家の中にいる家族の写真を見せてくれた。
本当かどうかわからなかったけれど、
これでもし何かあったら信じた私の自己責任だ、
と思い、家へ連れて行ってもらうことにした。

家は、ダラ遺跡というシリア正教遺跡から程なくして着く場所とのことで、Kemarはダラ遺跡に行ってから家へ行こうと言った。
ダラ遺跡はとても美しかった。メソポタミア文明の中で重要な古代都市であったこの遺跡の中を歩いていると、そこで確かに人が生活していた足あとが見えてきた。数十年前まで発掘されておらず、今まだ発掘途中らしい。

ダラ遺跡


そこで生きていた人たちの、最近まで世界の記憶から抜け落ちていた歴史が、こうして日の光の下で見えるようになったことの奇跡を感じた。
私たちが、かつては土で生まれ、そして土に還ったことに気付かされ、私には何も、見えてなかったのかもしれないとも思った。

ダラ遺跡の中にある、死者の埋葬場所。死者の霊は太陽に向かって昇っていくと考えられていたため、このような煙突が設置されている。

ダラ遺跡を後にして、車に乗っている時、
窓ガラスを開け、砂の混じった風が顔を通り過ぎていくのを受け止めていた。目の前に広がるのは黄金色に輝いた、土づくりの建物と大地だった。
少しだけ滞在した、というよりも通り過ぎただけのこのマルディンが、自分にとってはとても印象が強くて、寂しいという気持ちを享受できることが自分の心を輝かせるものだと、何度も、自分の身体に刻みつけた。
染み渡る黄金色の寂寞。
そして、時を積み重ねるということが、一瞬の中に永遠があることを映していることだと知った。


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