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抱負(2024.1.1)

弱いままで、強くありたい 言い換えるとそれは 自分の傷を愛し、その傷と共に生きていきたい ということ。 物理的に負った傷は、跡形もなく治る場合もある。 けれど、心に負った傷は。 時間によって、愛する人によって、 和らぐことはあっても。 決して無かったことには、ならない。 でもきっと。 傷を負うことによってのみ、人は強くなる。 じゃあ傷を負いまくればいいという話ではなくて。 そもそも負うべき傷なんて、存在しない。 色んな強いがあるだろう。 今まで漠然

    • やっぱり私は、働きたい。

      ついに、4月になりましたね。 意を決して実家を離れて約一年。 大切なパートナーと出逢って約一年。 なぜか今朝起きてすぐ、この一年間にあったことが、走馬灯のように一気に頭を駆け巡った。 良い意味で涙が溢れそうになった。 確かに、生まれ故郷を離れて新たな土地に飛び込んだり、たくさんの出逢いに恵まれたりと、客観的に見て環境も大きく変わった。 だけど今朝実感したのは、その環境以上に、私の心が、変わったということ。 一つは、働くことについて。 いまの私は、社会的地位への焦

      • 2024.3.28

        ※今回はわたし個人の摂食についての吐きだしです。お食事中の方はおすすめしません。 気が付いたら、お店に入っている。 気が付いたら、カゴいっぱいにお菓子が積まれている。 気が付いたら、レジに並んでいる。 気が付いたら、口に物を運んでいる。 気が付いたら、冷や汗をかいている。 気が付いたら、胃が悲鳴を上げている。 気が付いたら、お手洗に篭っている。 ああ、この感じ、久しぶりだな。 何かに取り憑かれたように頭と身体が真逆の動きをして、自分が自分でなくなる。 これ

        • 2024.3.20

          叶わない願いが叶うならば。 誰にも自分より先に死んでほしくない。 今からたんぽぽの綿毛のように、ふわふわと夜空に浮かんでいきたい。 そして何兆個とある星の一つになりたい。 そして人々の記憶から全て忘れ去られたい。 物心ついたころから、そんなことを私は夢見ていた。 君に出会うまでは。 いまの私は、生きる喜びを知ってしまった。 あんなに怖かった変化が、いつしか楽しみとなっていた。 例えこの先どんなことがあっても。 例え今の幸せが離れゆくことがあっても。 生き

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        抱負(2024.1.1)

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          自分の中にある、明らかな差別

          根底に、男性と女性を差別している自分がいる。 理由がなくとも、第一印象から男性全般に否定的なイメージを抱いてしまう。 というのも、パートナーと友達について話していて、自分の中で明らかに「男性」と「女性」で判断基準が違う、と改めて感じたのだ。 父だったり今までの交流関係だったり、思い当たる節はあるけれど、それでは説明しきれないくらいに度が過ぎている。 そもそも性別関係なく人を一人の人間として見つめたい、と頭では考えているし、心がけているつもりだった。 けれど、そう言って

          自分の中にある、明らかな差別

          逃げていただけだった

          じふんの想像以上に、 大切な人の覚悟が深いものだった 親兄弟がわたしの在り方を受け入れてくれた じぶんの想像以上に、 人は惨めで弱かった そして人は偉大で強かった ただ、人々の輝けるものを ただ、じぶんに差し伸べられている手を ただ、毎日の小さな喜びを あの人はこんなやつだと 誰も分かろうとしてくれる人は居ないと 世の全ては無力だと 思い込んでいただけだった もっというと、逃げていただけだった なぜなら? その方が、楽だから でも、一瞬たりとも

          逃げていただけだった

          無意識に、自分は変化している

          私は一年前まで、家事の「か」も理解できないほどに、全く家事というものをやってこなかった。 親は、子供の仕事は勉強というスタンスだったので甘えまくっていた。 (いや、頼まれてもサボってたな。呆れられていたのかも、親ゴメンナサイ) でも去年から一人暮らしを始め、否が応でも家事をせざるを得なくなった。 今まで、家事を「掃除・洗濯・料理」くらいにしか認識していなかったけれど、 もっともっと沢山の細かい作業の積み重ねなのだと思い知らされた。 私は外に出る気力もないナマケモノの

          無意識に、自分は変化している

          2024.2.1

          今年で24歳になる。 年齢は成人しているけれど、20歳を越えて以来ずっと “おとな” になった実感はない。 突然社会に放り込まれ、知るべきことも知るべきでないことも見聞きし、経験していく。 環境に、心が置いていかれる。 子供のころ思い描いていた “おとな” は逞しく、何でも乗り越えてみせるスーパーヒーローだった。 だが自分がいざ大人になると、そんな “おとな” はこの世に存在しないことに気付かされる。 あくまで私の場合は、だけど。 むしろ大人になってからの方が、

          2024.1.28

          相手に、何を話して、何を話さないか。 これはすごく難しい。 でも、少しずつ、以前のような「私」を取り戻している感覚がある。 いや、取り戻すは違うな。 より柔軟で、よりぶれない「私」を見つけ出そうとしている、が適切かな。 でもそれは自分一人の力ではない。 誰よりも先に「私」を見つけ出してくれた人 私に飛び立つきっかけをくれた人 それを許し、応援してくれる人 色んな人たちの支えがあるから。 どんなことがあろうと、 私も人間だから最初は悩むけど、 一度決心してしまえ

          2024.1.28

          2024.1.22

          私も、いつか、息を吸うように、人の幸せを願える人になりたい。 父のように、妻と息子と娘が世界一可愛いと本人の前で堂々言える人でありたい。 母のように、どんな困難があろうと自分を見失わず、逞しい背中を持つ人でありたい。 兄のように、人の痛みを、自分の心を痛めてしまう程に思いやれる人でありたい。 恋人のように、相手を想い、時には厳しいことをも伝えられる覚悟を持つ人でありたい。 震災に募金する人のように、顔も声も知らぬ人々の心を想像しようとする人でありたい。 みんな必ず

          2024.1.22

          刹那

          声を聴いた途端、涙が溢れた。 愛するって、こういうことだったんだね。 盲信ではなく、ありのままがいとおしい。 こわばった身体が、ふわっと安らぐ。 心を、本来の場所に、そっと戻してくれる。 今まで、がむしゃらに笑って、泣いて。 遊んで、勉強して。 感情を爆発させて、蓋をして。 自分を責めて、人を責めて。 答えのない答えを、問うてきた。 でも、そのすべてを、愛は包みこんだ。 わたしがわたしで、よかった。

          空っぽな時間

          最近、よく考えごとをしていて脳みそが疲れてるのか、思考がネガティブになりがち。 何事も、ほどほどだね。。(笑) それで、なんで空っぽな時間って題名をつけたかというと。 空っぽな時間が、なんだかんだ一番落ち着くし、幸せを感じるなって思ったから。 というのも、いま祖母の家に来ていて、とても田舎に囲まれた家なのだけど。 散歩をしていて、目の前に広がる自然に心が静かに飛び跳ねているのが自分でも感じられた。 空気も、水も、美味しい。 そして祖母とのんびりお喋りしている時間も

          空っぽな時間

          「私の考えの、道すじ」

          最近、大切な人が 「優しさは行動じゃなくて結果。受け取る人が優しさと感じたときに優しさ、嫌だと感じたときに押しつけになる。」 といった内容を話してくれたのだけど。 ハッとさせられたと同時に、改めて色々考えさせてくれる機会になった。 だから、今まで書いたnoteとも内容が被るけど、ここにまとめてみたいと思う。 何年か前、私は人間関係に悩んでいた。 優しさも、言葉も、価値観も、人によって受け取り方や感じ方が違う。 どんな言動が正しいんだろう。 間違っているんだろう。

          「私の考えの、道すじ」

          感情は、彩り。

          数年前、私は植物になりたいと思った。 犬になりたいと思った。 もっと馬鹿になりたいと思った。 感情があるから、苦しくも、楽しくもなる。 理論では説明できない、矛盾が生まれる。 じゃあ、感情なんて要らない。 そして気が付いたら、何も感じなくなった。 だけど今は、感情を感じられるということが嬉しい。 そして、愛おしい。 驚き、喜び、怒り、恐怖、悲しみ、嫌悪、、、。 生きているから、楽しく、苦しい。 じゃあ、きっと、 楽しく、苦しいから、生きている。 今の私

          感情は、彩り。

          2023.11.9

          たまに。 そもそも土がなければと思ってしまう。 私が幸せなのがいちばん、と言ってくれたことは、本当に、本当に嬉しかった。 どう感謝を伝えたらいいか分からない。 けれど、そう言わせてしまったという事実がつらかった。 自己満なのは分かっているけれど、それでも、大切にしてくれた分恩返ししたかった。 目に見える形でしか理解しずらい父には、特に。 自己否定や将来不安ももちろんある。 けれど、何より、彼等への申し訳ないという気持ちが私の根底にあるのだと思う。 そして、今ま

          2023.11.9

          土があるから、

          自分を大事に思ってくれる人達の存在はきっと、自分の心の“土”なのだと思う。 そして彼等の自分に向けた言葉や行動はきっと、養分であり害虫でもあるのだと思う。 そもそも土がなければ、何も生えない。 土があるからこそ、自分は自分だけの芽を出し、茎を伸ばし、葉っぱをつくり、蕾から花を咲かせ、 時には枯れても、土の中に残っていた根から再び芽吹いたりするのだろう。 そして前回とは大なり小なり違った花を咲かせる。 その繰り返し。 でも仮に、 その土の養分が足りなかったとしたら、

          土があるから、