光の柱を繋ぐもの
私達は自然という大いなる森羅万象の一部です。
しかし、私達はそこから大きく(?!)外れてしまいました…
朝も夜も関係なく起きていたり寝ていたり
エアコンで温度に関係なく快適な空間を作り出し
旬がわからなくなるぐらい季節を無視して農作物が作れるようになりました。
文明が発達して、とても便利な世の中になりました。
最近ではテレワークが進み、季節どころか、曜日の概念すら怪しくなりがちに(あれ?! 私だけ?!)
光の柱がしっかりと立ち上がってくると、森羅万象との繋がりが取り戻されていきます。
私達もその一部であることを思い出します。
それでも、現代の文明社会の中で生きている私達は、ふとしたことで、その繋がりに齟齬が生じることも…
何でだろう?!
光の柱は個々の存在で、それぞれのサイクルを持っていますが、便利さによってそのサイクルは乱れがち。
森羅万象もそれぞれに周期的なサイクルを持っています。
その個々のサイクルと森羅万象のサイクルがズレでくると、繋がりがギクシャクしてきたり、希薄になったり、場合によっては途切れてしまったり…
古代の人達は、季節の移り変わりを経験則なり蓄えた知識の結晶として、『暦』として残してきました。
古代エジプトでは、シリウスとナイルの氾濫を。古代マヤではピラミッドと太陽を、古代ブリテン島では、ストーンサークルと太陽を結びつけて考えていました。
占星術は、古代メソポタミアが起源のようですね。
昔の方達は、暦というツールを使うことによって、自然や宇宙などの周期的なサイクルを自分達の生活と結びつけていました。
現代人の私達は、一般的にはグレゴリオ暦を使い生活しています。
キリスト教的な考え方の元、導入された経緯があるようですね。
日本で言うところの旧暦(太陰暦)だと、朔日は新月ですね。
お盆を旧暦で迎える地域や新暦で迎える地域があったり、日本では何だかんだ令和の時代においても、2つの暦を使い分けているように感じています。
で、なぜに暦のお話なのかというと…
私は個々の光の柱と森羅万象を繋ぐ役割を果たすのが暦なのではないかと思っているのです。
自然体で日々を過ごしていると、別に『暦』を見なくても、「なんかザワザワするなぁ」と思っていたら満月だったり、ふと「そろそろ冬至が近づいてきたなぁ」とか、体感で大いなるサイクルを感じることができます。
とはいえ、現代の文明の力って、すごく強いので、あっという間にその体感はかき消されてしまいがち。
でも、私達は森羅万象の一部なので、必ずその影響は受けています。
なので、それらの森羅万象の大いなるサイクルを無視して(不自然に)生きていると、その中の個である自分のサイクルがうまく回らなくなっていきます。
スケジュール管理の為だけではなく、森羅万象の大いなるサイクルを感じるためにも、上手く暦を活用していきたいものです。
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