裁判員制度はもう死んでいる

こんな記事が出ました。

辞退者が7割に増加した裁判員制度、何が起きているのか https://newspicks.com/news/3040941

裁判員制度については、発足前夜のころに反対派としてTVの討論番組にも出たくらいでして、当時から今も変わらず「即刻廃止」を求めています。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、この制度の問題をそろそろ発信しておかないといかんなと思い、タイミングもいいのでここに掲載することにしました。なお、ここからは6年前に別ブログにアップした内容をほぼそのまま掲載しています。

その当時、TVで賛成派が言っていたことはだいたい以下のようなこと。

1.司法に市民の常識を反映させたい

確かに、裁判官は社会経験が少ないまま、その職に就くことが現実で、感覚レベルでは地裁の判決には時々常識とかけ離れた判決が見られたことも事実です。これを実際の市民感覚に近づけるとともに、司法に対する国民の理解の促進と信頼の向上を図るんだそうです。

しかし、僕には「ヘタでも素人よりプロの方がマシ」としか思えないのですよ。いくらボコボコにピッチャーが打たれても、客席でヤジ飛ばしてる草野球のエースのオッチャンがマウンドに立つよりはよっぽどマシじゃないですか。

ダメなら別の「プロのピッチャー」に交替するのがスジ。素人の出る幕なんて無いですよ。もし誰が出てもダメと言うなら、育成や採用の仕方を考えるべきで、やはり素人を呼ぶことによってクオリティが上がるなんて確率論的に絶対に有り得ないことです。

それに、「司法に対する国民の理解の促進」って何なんですかね?これを掲げる意味がさっぱりわからないんですよ。

今回、100日も裁判員は拘束されますが(※ http://ow.ly/8kdWA )、それに参加できるのはどんな人なんですかね?少なくともフルタイムの職を持つ人は参加できませんが、その中から選抜された人たちが「市民感覚」とやらを日本代表として背負い込むんでしょうかね?

参加した人の評価は「いい経験になった」が9割だそうです。そりゃそうだ。参加したい人が参加しているんだから。

そして何より、プロとアマの最大の違いは「結果にコミット」です。

某ライ〇ップで流行った言葉ですが、この言葉がピッタリ当てはまります。下した判決は、被告人・被害者・その他関係者に直接反映するんです。これは疑似体験ではありません。正真正銘のリアルです。


あなたが「死ね」と言えば「殺せる」んです。


もし死刑判決を出して、のちに冤罪であることがわかったとき、あなたはそれを受け止められますか?プロはそれを覚悟のうえで、覚悟させられたうえで裁判官になっているんです。この覚悟の違いこそが、軽々しく「やってみたい」と言ってはならない最大の理由です。

2.公判前整理手続きによるメリット

裁判員は拘束期間を長く出来ないので(今回のが大きく矛盾しますが)、審理を短くするために導入された手続きです。審理前に証拠を提出し、争点を明確化してから審理に入ります。

番組に出たときも、この制度が裁判員制度に絡めて議論されたのですが、僕はこの議論に参加しませんでした。理由は、裁判員制度の是非に関係がないから。この制度を導入することがいいことなら導入すればいいし、問題があるなら導入しなければいい。それは、裁判員制度を導入するかしないかに左右されません。

しかし、なんだかこの仕組みを「取り調べの可視化」に結びつけて考えてしまう人が結構多かったんです。以前から問題視されていたことではありますが、まったく別の問題なんですけどねぇ。

3.死刑制度の見直しの契機に

裁判員は、時には死刑判決を下すことも有り得ます。これは極めて精神的な負担が大きいものです。裁判員制度の導入をきっかけに、司法が国民に近くなり、死刑判決を自分が下すこともあるかもしれないという状況になることで死刑制度の見直し論議をしてはどうか?という、死刑反対派の思惑が見えたのです。

しかしこれも全くの別問題。死刑制度の是非はともかく、そのために裁判員制度を利用しようという考え方が姑息。もし死刑制度が本質的に必要なのだとするならば、「死刑判決を下しにくい人をわざわざ選ぶことで制度を骨抜きにする」ということであり、それは許されないことです。それは法律へのテロです。

4.どんな制度も最初からうまくは行かない。随時見直せばいい。

確かに、どんな制度でも最初から完璧とは行きません。少しずつ修正を加えていきながらブラッシュアップすることが必要になるのは確かです。

しかし、元々メリットがない制度を入れておいて、後で見直すというのはまったく無意味。人の生き死にを扱う制度で、こんなトライ&エラーな考え方を簡単に許すほどのメリットがこの制度には全く見つけられないのです。

そして僕が最初に主張したのは以下のとおり。

○精神的苦痛が重すぎる

死刑判決も有りうる凶悪犯罪のみを裁判員制度の審理対象としたのが意味不明。

「私たちが死刑評決しました。」 http://ow.ly/8kjNP

この本は、アメリカでスキャンダラスな事件として注目を浴びたある事件を審理した陪審員のドキュメンタリーです。日本と違い、彼らは有罪か無罪かを決定するだけです。量刑までは決めない分、少しは精神的負担はマシです。事後にこうして、当時のことを語る権利もあります。

しかし、有罪なら死刑は間違いなしであったことも確か。そして、12人全員が有罪と評決。その後、彼らのうち実に7人もの人がPTSDを発症します。

自ら望んで司法の場に身を置いた人ならともかく、そんな覚悟もなく、正しく裁ける自信も無い人たちに凄惨な事件の場面を見せ、聞かせて、死刑を宣告させる。そしてその後、誰にもその苦しみを話してはならず、「裁判員経験者のための相談窓口を用意しています」などとふざけたことを言う。

心の病は「罹った時点で大きな十字架を背負う」のです。なる前に防止しなければならないものであって、なってしまってから適切な治療をすればいいなどということでは決してない!!!!心の病を舐めきっている!!!!

だからこそ、僕は番組で最初に主張したのは

「あなたはこれから”オマエ死ね”って言えるんですか?」

だったんですよ。それは誰にでも出来ることではない。誰かがしなければならないのだとしても、それを「人任せにするな!責任を分かちあえ!」と言うにはあまりにも酷な仕事過ぎやしませんか?

○プロのレベルが下がっているなら、それを育てればいい

裁判官のレベルが低いというのならば、それを鍛えればいいだけのこと。わざわざレベルが落ちる「素人を裁判に参加させる」等という方法は、「市民感覚を持つ人ならプロよりも信頼できる」と思って選挙にボロ勝ちした某政党が完全に今信頼を失っているように、今の日本国民ならその不確実性が理解できると思います。

そんなに裁判官の市民感覚が不安なら、民間にしばらく出向させればいい。
中途採用をすればいい。民間と交流すればいい。

それに、本当に民間の感覚が必要とされていて裁判官にはチト荷が重いのは、民事調停ではないでしょうか?こっちに対して、たとえばリタイヤした、定年前はそれなりの職をしていた人を任命するとか、そういう方法であるならメリットはあるかもしれないなと思うのです。

・・・6年前の抜粋ここまで。当時も今も、何も状況は変わらない。むしろこの制度は死んでいると言いきれますね。あたかも裁判員制度がすっかり定着したかのように裁判所は言いますが、まったくもってそんなことはない。

そもそも、司法の質を改善させたいのであれば、一般企業が品質を改善するために何をやっているかを見てみればいい。普通、品質管理や内部監査・外部監査をするんですよ。製造現場に素人突っ込んで一緒にやれ、なんて言わんのですよ。

結局、一番質が悪かったのはこの制度を設計した上層部の人間だったというわけです。そこだったら是非僕が交代してやりたいですね。


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