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事象じゃなくて裏側の心を映したい

最近ひっそりと会社のビルが主催していたコンテストに写真を応募させていた。(結果は参加賞に運良くあたりラッキーくらいだった)

大賞や他の作品に対する講評を確認していた時にそのまま撮るだけじゃだめなんだなってすごく思った。カメラが趣味なので結構自分が綺麗だな、いいなと思う瞬間をこれまでたくさん撮ってきた。もちろんそれも正解だと思うし撮っている写真には満足しているけれどどうしても同じような構図やモチーフが多くなってしまう。これはただ今居合わせた私が撮れているだけなのかもな。みたいな。

例えばテーマが「待ち望んでいた〇〇」だと安直に久しぶりに開催された花火大会の写真。豪華から華奢な火花たちの写真が並ぶ中、賞に選ばれていたのはその花火をお父さんの膝の上から見上げる少年の一枚だった。花火大会を楽しんでいる私たちが見ている花火ではなく、花火師の人たちが一番見たいであろう裏側の瞬間が切り取られ、選ばれておりなんだか感動してしまった。

花火大会=花火はすごく安直だったな。
紅葉=燃ゆと同じくらい陳腐だったなって。



同様に、大切な友達の結婚式に行った際も似たような感動があった。結婚式には、新郎新婦の紹介、家族動画や当日の総まとめのようなものなど映像が盛りだくさん。主催者側のこれまでの歴史や、当日の観客の反応などあることでより感動がひと塩。

そこに、新婦よりも一足早く人妻になった友人が、主催者側の用意した動画やステージなどを流している際、それを見ている私たちのことを撮影していた。後から新婦に「皆の反応見たいと思うけど見れるタイミングが中々ないと思うから」と動画(皆の反応)を共有していてものすごく感銘を受けた。逆側の視点を持つその輝きたるや

あくまでも事象を撮るということは、その人なりのもちろん感性は表れど、凡庸さは否定できない。でもそれを見ている人たちの感動であったり、その感動を提供してくれている人たちがみたいものを撮るという、少し逆の発想転換が出来るとまた世界は広がって見えるんじゃないか?と刺激を受けたり。

阪神が「アレ」したときに話題になっていた写真カメラマンの記事も見つけたのでシェア。
これはJUMPING FOR JOYと訳されているように、優勝した瞬間でなくこの人が幸せそうに飛ぶからここまで良い写真になっているんだよね。
まさにこういうとこ。

あえて日常というか。ただ綺麗な写真を切り取るのでなく裏側の心情をもっと映していきたいなと凄く思うきっかけになったのでした。
改めてプロのカメラマンはすごいなと。構図や意図などをあえてずらす、工夫した写真も少しずつ撮れるように意識しながら頑張っていきたいなと思いました。乞うご期待!

ではまた。


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