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もういくつ寝ると

重松清著の「送り火」に収められた一遍。

新宿から郊外のニュータウンへ続く富士見線。
その沿線で生まれ育ち、終着駅の奥に両親のお墓を買う娘さんの話。

「富士山の見える場所が良い」という両親の要望に沿う場所は、新しく造成され売り出し中の霊園の一角。

今住む場所からは電車で2時間かかる不便な所で、旦那は「もっと近くで気軽に行ける場所の方が良いのでは?」と。義母は、隣の区画にある、若い夫婦の建てた華やかな子供の為のお墓を見て「この様な所は厳かさが足りない」と。

でも、そこでこの先の永い時を過ごす両親は、富士山の見える富士見線沿線で生き、子供好きで、家族の時間を富士山と共に過ごしてきた人で、華やかなお墓は3歳で亡くなった子供が一人で両親を待つ場所なのだ。

「お墓なんてただ骨を置く場所に過ぎない」

「静かで厳かで歴史もあるお寺に」

「お参りする人に都合の良い場所のほうが」

考え方は人それぞれだが、お墓とは「終の住処」でもある。

主人公の父は、母が居ないと何も出来ない人だった。
母は、急いで後を追う様に、半年後に亡くなった
3歳で亡くなった子供は、両親が来るまで、お留守番だ。
お向かいのお墓には、「小野和雄之墓」と掘って、1人で入っているお爺さんも居る。

一人娘の主人公は生前の母親に「私もここに入っても良い?」「また家族3人で暮らそう?」と尋ねたが、母親は笑うだけで答えてはくれなかった。


家族とは?

死とは?

お墓とは?

姉の年齢を超え、親父の年齢を超えた今、色々考えさせられた。。。



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