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ゴーゴージャパニーズカー

この5年間でのわたしの中の大きな変化のひとつに、
「車に乗るようになったこと」が挙げられる。

仕事で山梨県に住んで、友人がちょうどいいタイミングで車を譲ってくれた。いざ乗ってみると車ってやつはあまりにも自由にどこへでも行けるものだから、それまで電車派だったのが「なんだわたし車も好きだわ、乗り物全般が好きなんだなワハハ」となった。

奇しくもそれがコロナ禍と重なったことで、皆が自粛と言って移動を避ける中でも自家用車でいろいろな場所に行きまくることができ、車の存在がどれほど助けになったかわからない。

ブルイックラディ号。白馬。

その後もいつの間にか当たり前のように車必須の出張に行かされるようになったし、今は新潟県に引っ越してこれまでの人生で一番車必須の生活をしている。
自分がここまで車に乗るようになるとは思わなかった。乗るとしても、子供ができる頃くらいかなと思っていた。両親もわたしも、まるで想像できなかった現状。

京都もマイカーで行くようになった

自分が車に乗るようになると、不思議なもので、自然と車に詳しくなってくる。
今までどれも同じ「クルマ」に見えていたものが、「フィアットの顔かわいいな。ジープやっぱかっこいいな。昔の緑色のデリカ好きだな。新しいフィットはコラッタみたいな顔だな」と街ゆくときに観察するようになるのだ。
それは、今までハトとカラスとスズメ以外の鳥をだいたい「鳥」として総体的に捉えていたものが「シジュウカラ、ヒヨドリ…」と分類できるようになったり、同じように「木」と思っていたものを「ミズナラ、ヒノキ…」と分類できるようになるのと同様な現象だと思う。
つまり解像度がぐんと上がった状態になるのだ。これがたまらなく楽しい。

というのを常日頃から感じていたのだが、先日、4年ぶりの海外旅行に出かけた際に、その感動が頂点に達した。というのも。

シンガポール、ギリシャ、アラブ首長国連邦、トルコ、アイルランド、イギリスの6カ国に降り立ったのだが、そのどこにも、たくさんの、日本車が走っていた。
割合で見ても、どの国でも少なくとも3割くらいはいたんじゃないだろうか。そのことに、わたしはいたく感動したのだ。
「日本の主要産業:自動車」と散々字面で見てきていても、いまいちそれを実感してなかったことがよくわかった。

アテネ

何がいいって、その、見慣れた姿のあまりにも変わらないことだ。
よく知るカローラや、ジムニーや、シビックや、エクストレイルが、今さっき知らない土地に降り立ったわたしの前をすいすいと走り抜けていく。
外国に行っても寿司屋はあるし、アサヒスーパードライが飲めたりするし、無印良品を見かけたりするけれど、やっぱりどこか違うのだ。
しかし日本車は、あまりにも普段自分が見慣れた姿で、悠々と、わたしの知らない道を走っている。きっと、わたしの知らないたくさんの景色を見て、こんなにも現地に溶け込んで。

ダブリン。馬車がいた

それが無性に頼もしく思えて、なんて素晴らしいことだろうと思った。
他にも、普段あまり見かけないフォード車がたくさん走っていたり、韓国のヒュンダイやKIAの車も見ることができておもしろかったけれど、どの道をぶらぶらするときにも、必ず見知った日本車に出会った。どの道を歩いてもなんだか心細くなかった。

ドバイ。

帰国後、自宅の近くを運転しているとき、「道ゆく車の大半が国産車であるこの景色は日本だけなんじゃないか??」と胸が熱くなった。
シトロエンやルノーに乗りたいと思っていたこともあったけど(今も憧れはあるけれど)、あの時感じた底なしの安心感、知らない道だけど知っている車がこんなに走っている嬉しさを還元したく、わたしは今後も日本車でブイブイとどこまでも走りたいと思った。

おわり。

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