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ガーデンでの静寂:Old Mistake

日曜日にいつも出向いていた会に参加しなくなってしばらく経つ。
夫が子ども達を遊びに連れて出かけてくれる日曜日、私はうちで一人、疲れ果てて体力も気力もなく、ただボーっと過ごすだけだった。
ある時、自宅に一人でいた時に、どうしようもなく落ち込んでしまい、精神衛生上良くないことに気がついた。そこからは、次々と日曜日を中心に外出予定を組むようになった。

そもそも上の子が行きたがる校外イベントは土日に多く、抽選に間に合うようにネットで参加申請をし、当選するといそいそと出かける。家族で出かける予定を組み、週末に向けて調整をする。夫とのデートは、それまで1年に1回の結婚記念日だけだったが、毎月子ども達を親族に預けてデートする日を作るようになった。

それまで子ども達を寝かしつけてから、夫婦で夜に話し合うことが私たちのルチーンだった。ただ、睡眠時間を削り、日中の疲れからイライラする中、深刻な話などをしていると、夫婦としての時間が日常的に取れているのかどうかもよくわからなくなる。

子ども達と共に、早くに就寝して充分に睡眠を取り、
子ども達から離れて、時々は仕事休みの日や週末の日中に夫婦だけの時間を確保する方が、
よほどまともな頭で話し合いができるし、リフレッシュもできるものだ。
働き方改革で仕事の生産性を上げるためにも、しっかり休むことも大切なのだから。


そんなある日のデートで、ドライブ中にふと話していた時のことだ。
「あのBlackな人から、また何か言われていないか?」と夫が訊く。
「Blackな人でも、悪い人でもないけどね。今は、もう会うようなことすらないじゃない。」
「忘れた方がいい。我が家に悪影響だ。」
夫が気にしているのは、ある人から言われた言葉に私が深夜一人で泣いていた日のことだ。

「お前もあんなところへ行くからいけないんだ。世の中には悪意を持った人なんて山ほどいるんだぞ。」
夫の立場からすれば、その人は悪者なのだろう。
子ども達にすら聞こえるように話すその悪口から伺えることは、妻を傷つけられたことが赦せないだけで、実際何があったかという事実はどうでもいいということだった。

私には、自分にも少なからず原因があり、偶然が重なって悪い方向へ転がり落ちるように引き起こされた出来事がきっかけで、その言葉は発せられたように思えてならない。ただその時、私はその言葉を受け止めきれなかった。私は自分の痛いところを突かれたように錯覚しただけなのかもしれなかったが、冷静でいられなかったのは事実だ。

その時、私はただ押し黙り、会の終わりまで場の空気を壊さないようにするだけで精一杯だった。

その会から夕方帰宅し、夕食を家族で済ませて子ども達を寝かしつけた後、私はこっそり廊下で一人泣いていた。そこを、夫に見つかり、問いただされたのだ。
私が「…こんなことを言われてしまった。私は何か間違えたんだろうか?」
と泣きながら事情を説明してやっとそう言うと、
夫は「一体、そいつはどんな奴なんだ!?」と激怒した。


あの人に会うことはないだろう。
私たち家族は、あの人に会うことも叶わないくらい遠くに引っ越したのだ。

「スリルある冒険がしたいなら、インディー・ジョーンズみたいなアクション映画でも観てればいい。」
夫は毒づくように独り言ち、ハンドルを切って車を停めた。
そこは南国の植物で占められたガーデンが有名な花畑のある大きな公園で、駐車場に着くと、私たちは明るい日差しの下に降り立った。平日だったので、お客は仕事を引退した高齢者夫婦や、ベビーカーに乗るような幼い子ども連れの若い母親のグループがちらほらいる程度で、混雑した様子はなかった。

入場招待券を受け付けの入り口で見せ、その庭園に二人して入っていく。
定期的に同じ敷地内にある娯楽施設を家族で利用する私たちには、この庭園の招待券が時々送られてくる。子どもが行くような楽しい娯楽設備があるようなところではないので、夫婦のデートにはぴったりだ。
入口の門を通り過ぎると、すぐに撮影スポットがあり、ベンチにすわって、スマホ台にカメラを設置して、セルフタイマーで二人の記念写真を撮った。
バラ園に行くと、バラの季節は終わりに差し掛かっていて、最後の力を振り絞ったかのように一部の花が少し咲いているだけだった。屋外にあるバラ園には、蝶や蜂が花の蜜を吸いに来ていた。甘い香りをかすかに感じながら、バラ園を通り過ぎると、南国の植物が有名なガーデンの入り口が見える。

「別料金だけど、せっかく来たんだし、入ってみようか。」

この庭園に入ってから、穏やかにいろいろと話していた私たちだったが、夫の方がこのガーデンに興味を持つとは意外だった。料金を払い、二人して入口へ歩いていくと、すぐに自動扉が開き、南国の楽園が広がった。
鉢に一本ずつ植えられたカラフルで大きな花が等間隔に階段状の植物棚に積み上げられ、天井からそこかしこに吊り下げられた数々の鉢からは見たこともない小さな花と葉の付いた細い茎が柳のように垂れ下がっていた。空調は南国らしい湿度と温度で満たされ、早朝に撒かれたであろう水が照明に照らされて煌めいている。
見上げるような背の高い植物や、蘭や、食虫植物などを見て回り、カフェのあるスペースに辿り着くと、カラフルな花々がハネムーンのバラ風呂のように浮いている大きな池があり、その池の周りには等間隔にベンチが設置してあった。還暦は迎えたであろう夫婦が、ペアルックの服を着て、寄り添うようにベンチに座っているのを見て、私たちは少しスペースを空けて、同じようにベンチに座った。

「静かだな。」
「子ども達がいないし、大人だけだしね。」

池に浮かぶ花は、もう盛りを終えた花なのだろう。
でもそのまま捨てるのはもったいないから、こうして池に入れているのだろうか?
花屋さんで、もう消費期限が迫り新鮮さを失った花を短く切り、「ミニブーケ」にして売り出しているようなものだ。
カフェで購入したアイスコーヒーを片手にしばらくその池とその表面を埋め尽くすように浮かぶ大小さまざまで色とりどりの花を眺めながら、二人で座っていると、しばらく時間が止まったように感じた。

南国の植物に囲まれているとはいえ、ここでは鳥の声も聞こえず、虫もいない。すべて人工的に管理されたこのガーデンは、南国の荒々しく危険な自然のジャングルではなく、人にだけ都合よく造られた都会的なセンスに彩られた安全なガーデンなのだ。

夫の肩に頭を預け、
特に言葉を交わすこともなく、
私はただそこにいるだけだった。

そして、あの会で押し黙ったまま、何もできずにいたあの日との大きな違いを感じた。

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