言葉を扱うことは、どうしたってやめられない。
ーあなたの言葉で救われました、ありがとう。ー
当時インスタもFacebookもない時代。
mixiが流行るもっと前は魔法のiらんどやYahoo!知恵袋が、私にとってのコミュニティであり唯一の居場所だった。
18歳当時の私は、張り詰めた糸のように繊細でちょっと切れれば発狂しそうなほどに寂しさと孤独を抱えていた。自分は無価値だと信じて疑わなかった。
普段、言葉にできない気持ちを吐露したい時にコミュニティを利用することが当時の何よりもの心の処方箋だった。そんな折、私が発した何気ない一言にネットの向こう側にいる友達が冒頭の言葉のまま「救われた」と言ってくれたのだ。
ライターや作家になりたい。なんて、しっかり思ったことはないけれど。
私が放つ言葉で誰かが癒されるのなら、言葉で人に優しさを示したい。
はじめて私が私に価値を与えられた瞬間だった。
彼女の救われたという一言はまた、私の心も救ってくれた。
|ファッションライターとしてのキャリア
学生時代のその経験は私に確かなものを与えたけれど。
それでも仕事になるものではないと思った。
かといって好きでもないことを仕事にしようとは思わなかったので、私が好きな分野であるアパレル系の職に就くことにした。これはこれでとても楽しく、私にとっての天職とも言える職業だ。だけど、服は好きなのにコレじゃない感が否めない。社会の何かに役立っているとなんとなく思い切れなかった。
そんなある日、友人から「ファッションライターにならないか」という誘いを受けた。当時キュレーションメディアがブームに乗る少し前のことであった。ファッションの専門家という肩書きがあればライター経験は問わないとのこと。
文章を書くこと自体好きだった私は二つ返事でOKを出し、そこから私のキャリアが確かなものとなっていった。まだレッドオーシャンになる前というのもあったが、書けば書くほど記事のPV数が跳ねていったようだ。
決して文章力が高い訳ではなかったと思う。
跳ねた理由は単純明快、寄稿先が大手メディアだったからという理由と、私個人のスキルで言うなら「ファッション解説が分かりやすい」からだ。
スタイリングの仕事に文章の仕事が加わったことで
私のこれまでの違和感はなくなった。
心の底からこの仕事が好きだと思えたのだ。
|数字よりも大切なこと
PV数が跳ねるのは嬉しいことだ。
跳ねるほどに編集社からも重宝してもらえる。
それでも跳ねればいいとは思わない。
やっぱり言葉は「人の心を温かくすること」ものでないと。
ファッショントレンドの解説をしようとも、結びの言葉は必ず
おしゃれが好きな人にとっても、そうでない人にとっても否定的でない言葉で終わらせるようにしている。
こんな服を着てはダメだ!というファッションのNG解説をしていても、本当に好きな服なら好きに着たら良いという受容の言葉も含ませたい。煽り記事はPVが跳ねやすいが、それで読む人が一方的に嫌な気分になる記事になっては意味がない。どんな時でも多角的な視点を持つように配慮をし、どう伝えれば記事としてまとまるのか思案しながら記事を生み出すのが何よりのやりがいである。
例えどんなテーマを扱っていたとしても、読む人にとって出来るだけ「救い」のある文章にしたいと思うのだ。あのとき、私に救われたと言ってくれたあの子の言葉に誓って。
|言葉にできない思いの代弁者
ライターというのはなんだろう。
言葉というのはなんのためにあるのだろう。
いつも、この疑問を自分に投げかけ続ける。
今の私がこの投げかけにアンサーを出すなら
多くの人の“言葉にできない気持ちを的確に代弁すること”
“そんな視点があってもいいんだ”という新たな価値観の発見につなげること
“私は一人じゃないんだ”と愛を送るためにライターという職業があり、言葉というギフトがあるのだと思う。
そして、その一端を担えると思うと奥底の魂が震えるような感覚を覚える。
その体感が呼び起こされるたびに、ライターという職業が天職なのだと実感する。
もちろん毎度うまくいく訳ではないけれど、だからこそ。
私に救われたと言ってくれて、私も救われたあの日から。
そのことを胸に掲げて今日もずっと書き続けている。
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