10 祖母編集による昔語り

先日祖母に電話をしたら、時々唐突に始まる昔語りが始まったので口述筆記(時々解説)します。

昔叔父(息子)の戸籍の父親欄で、祖父の出生地にソビエト連邦共和国大泊とあるのを見たとのこと、
「ファミリーヒストリー」的に言うと、祖父の生家金沢の薬問屋が支店を開いた時に生まれたのだそうだ。

祖父の昔語りでは、祖父の母は金沢で孟母三遷すの古事のごとく子の教育のために引越しを繰り返し最終的に寺町というところに落ち着いたという。あるいは大泊から戻ったころの出来事かもしれない。祖父の金沢の話は蝙蝠傘をバラして釣竿を作り浅野川で釣りをした、という幼い頃のものを聞いたきりだ。

小学校に上がる頃、祖父の一家は今度は小樽に越した。小樽の小学校には白系ロシア人のクラスメートもいたという。イジメられていたのを助けたことで仲良くなった、と聞いたことがあるが、あるいは余所者どおしの境遇が親しみを感じさせたのかもしれないと想像する。

旧制の小樽中学校に進んだ祖父は進学志望だった。受験科目にない地理などは片手間だったのだろうと祖母は想像して話す。祖父を受け持った地理の先生は「トンビ」とあだ名される男性で、伊能忠敬に憧れ遠距離への転勤を希望、次の赴任先が広島県立広島第一高等女学校、通称第一県女だった。

「ワタシ地理は大好きで熱心に勉強したもの」と祖母は述懐する。先生のおっしゃることには「〇〇さん(祖母の旧姓)は僕よく覚えているよ。△△君はね、印象にないんだなぁ」

戦後もだいぶ経ってから関東某所の短歌会に属していた小樽出身者2名と広島出身者2名の思い出話から先生の大転勤が明らかになり、のみならず同じ先生に学んだ生徒が結婚していたことが判明したという。幸い存命だった先生を囲んで急遽同窓会が開かれ、祖母が出席したのだそうだ。

(続きがあるのですがインターバルをおいています。しばしお時間ください)

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