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花札と天塩川

 父方の祖母は戦争未亡人だ。夫は南洋の海で戦死した。3人の息子を遺して。わたしの父は真ん中の次男。長男の伯父だけが父親の顔をかろうじて覚えているが、父と下の叔父は遺影でしか知らない。

 その祖母の実家、S家では祖母の姉の夫と祖母の兄も戦死している。
 曽祖父は未亡人となった娘2人とその子らを不憫と思い気にかけていたらしい。  

 それは曽祖父亡き後、本家の家長となった長男である大伯父や弟妹にも引き継がれていた。7人の兄弟姉妹は何かと行き来しあって助け合っていたようだ。

 お盆や大晦日お正月に祖母の家やS家本家に挨拶に行くと大叔父や大叔母も集まって来て皆で花札をしていた。大人たちが4人ずつ座布団を囲んで役をつんで取った取られた誰が勝ってる誰が負けてると賑やかだった。誰かが1人勝ちしていると別の組みから「よし俺がそっち行ってやる」とメンバー替え。マッチ棒で点数を数えて後で1本1円で賭けているのだ。お酒も入っているから皆上機嫌でおしゃべりは止まない。
 そんな時、その横で見てるだけの子供らがつまらなくないようにと、昔の話を面白く話して聞かせてくれたりもした。

 美深という町の名前はアイヌ語でもともとはピウカと言う。意味は「石がゴロゴロと転がっている川原」らしい。町は天塩川沿いにある。

 なぜいきなり町の名の由来を書いたかというと、大叔父たちが花札をしながら開墾当初の話をしてくれたのがその由来を裏付けているような話だったから。

 大叔父たちは1番下の大叔父以外は大正生まれだから大正の終わり頃か昭和の1桁頃の話だと思う。
「おっきい馬(道産子)でな、鍬を引いて耕すんだけどな。ちょっと引いただけで石がゴロゴロ出てくる。」「掘っても掘ってもでくる。こーんな人の丈ほどもあるのがな、いっぱい出てくるんだわ。」「ゴロゴロ」「まだガキだったからもう嫌になってやめたかったわ。」
 「人の丈ほど」というところで大げさに手を広げて苦労した話を面白く話す大叔父たち。「お前はベソかいてすぐ休んでたべ。」 1番上の大伯父はそんな弟たちを茶化して笑っている。
 日に焼けた四角い顔の手がゴツゴツしたいかにも百姓といった風貌で、子供らにはにこやかな優しい大伯父だった。

S家のあったあたり
農地を継ぐ者もなく今は別の人の畑となっている


 昔の人の営為と和人が入ってくるずっと以前、天塩川という川が人の丈もあろうかという大きな石を運ぶほど氾濫したのかとその頃の手つかずの大地を偲ぶ。


蛇足
 ここでいう戦争は太平洋戦争で日露戦争ではありません。昨日ゴールデンカムイを観て来たので念の為(^-^;

追記 

 そういえば、S家のルールではなぜか猪鹿蝶の役がなかった。札はあるけど役と扱われてなかった。祖母たちは兄弟姉妹の家で順番に賭け花札してたらしい。盆暮正月だけの遊びとして。

追追記
 この記事を書く為に祖母が何人兄弟だったのか父に確認してたところ、1番下の大叔父について父が言った。
「俺と六っつしか違わないんだ。まったくなあ。」
 何がまったくなあなのか。あんたが言うな、である。
 詳しくは「困った男①」をどうぞ。

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