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リサ物語が教えてくれた「聴く」のパワフルさ(聴くシリーズ番外編)

少し前に、実家の片付けをしていたら、小学校4年生の頃のB5サイズのノートが1冊出てきて、開けてみると、一編の自作の物語でした(え!笑)

タイトル「リサ物語」の冒頭

小学校低学年の頃は、毎日学校の図書室に通い、ひたすらに物語を読んでいた時代で、世界少女名作やアルセーヌ・ルパンシリーズなどの海外の物語が大好きな妄想少女でした。ノートの始まりには、リサ・プティパという主人公を始め、登場人物の紹介が書いてあり、40ページほどの物語は、案外、起承転結がしっかりしていて、なかなかに面白くて一気に読み終わり、「10歳の私、やるね!」となんだか誇らしい気持ちになりました。

最初は登場人物の紹介ページ

後日、ずいぶん久しぶりに会った叔母に、その物語の話をすると、小説好きの叔母が「ぜひ読みたい!」と言ってくれたのでノートを渡すと、数日後に、お手紙と共に戻ってきました。手紙には、叔母の感想を交えながら、書き手の私を尊重するような言葉が並んでいて、読んだ私はとても柔らかくて嬉しい気持ちになりました。

この物語を家族や友人の誰かに読んでもらいたいと思ったことはなかったのだけど(当時は、恥ずかしいし、否定されるような感想を言われるのがこわかったのだと思う)、今はもう大人だし、何よりも、叔母なら大丈夫かな、と思ったのだと思う。なぜなら、私は小さい頃から、この叔母のことを「やさしいおばさん」と認識していて、叔母はいつも穏やかで物腰の柔らかい人で、怒っているのを見たことがない。

私はずっと、そんな叔母だから「やさしいおばさん」と認識していたのだと思っていたけれど、その手紙を読んだら、ふと私の中に、もう少し具体的に叔母の記憶が甦ってきて、叔母はいつも「リエちゃんはどう思うの?」「リエちゃんは○○と思ったのね」と聴いてくれていたことを思い出したのです。

否定することなく聴いてくれるこの人には「自分の話をしても大丈夫なのね」という安心感が「やさしいおばさん」という認識になっていたのかも!と発見したのです(怒らない、というのも否定しない、ってことだものね)

何の判断なく「聴く」をされると、安心がおこる。
そこにいてもいいんだよ、私でいいんだよ、という安心感。
「聴く」は、自分が自分を信頼する、自分を信じる後押しをしてくれているように思います。

私もそういう安心を手渡していたいと願う。
自作の「リサ物語」が、時を経て、「聴く」のパワフルさを改めて教えてくれたので、引き続き、「聴く」筋トレを頑張りたいなと思います◯






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