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言葉とそれが示すもの

自分と同世代で憧れる人は誰だろうとずっと考えてた。「あの人のようになりたい」「あの人のように輝いていたい」と目標となる人がいると、俄然やる気が出てくるからだ。

10月か11月のある日、自分のやりたいこと、望むこと、こうしたいと思うことをすべてノートに書きだして引き出しの奥にしまった。本当は100個くらい書くところ、数十個しか書けなかった。書こうとすると「大それているな」と躊躇したり、「こんな夢叶うわけない」と感じる現実離れしたものだったりして、ペンが止まってしまうのだ。でも誰に見せるわけでもないのだ。思い切り大きな夢から小さな夢まで書き出してみた。

あれから2か月。何を書いたか詳しくは覚えていないけど、そのうちのいくつかが早速叶い始めた。「あれ、叶ったな」「おや、本当になった」と感じ、私へと舞い込んでくる現実に、書く力のパワーを認めないわけにはいられない。もちろん努力できることはすべて行った上でのことだけど。

そんな願望のひとつが「同世代のすてきな女性に出会う」だった。アラカンともなると、日々の生活に流されずに自分の世界を守り続けているような人はとても少ない。「今のままでいいの」「十分しあわせ」と守りに入ってしまう人がすごく多い。今のままでいいという気持ちには、本当はもっと色々やりたいけどそれも大変だから、変わらずにいることで我慢する……が入っていると思う。私はそういう我慢はしたくない。

同世代の素敵な人、どこにいるんだろうと思いを馳せていたところに突然現れたのが銀色夏生さんだった。夏生さん、確かに同世代の憧れる人だ。

銀色夏生さんはここnoteでもご活躍中だが、私が十代の頃、作詞家として大活躍されていた。そして詩集「黄昏国」を読んで大きな衝撃を受けた私はファンレターを書いた。なんとお返事をくださり、しばらく文通させて頂いた。差出人にあった「GINIRO CLUB」を尋ねてみると自宅(今では考えられないこと)で、「お手紙くれる子よね」とお家にあげてくれて、お茶まで出して頂いたというすごい逸話がある。

その時「ウソツキは地獄、正直者は天国へ行くとされているけれど、ウソツキは天国、正直者は地獄だったらおもしろいね」という話になり、「じゃあ私天国です」「私も!」と笑い合ったあの日のことは今も忘れない。

同年代で同じ頃に結婚、子どもを産んで子育てしていたので、日々の生活を綴った「つれづれノート」は私のバイブルのようになっていた。「子どもを育てるにはこうでなければ」「子育てはこうである」みたいなルールを軽々と飛び越えて呑気に暮らしている夏生さんの生活ぶりに、決まりなんてないんだ、自分の好きにしていいんだとこっそり教えてもらったような気持になったことを覚えている。

何十年にも渡り続いていて現在45冊目

子育てに、生活に追われるにつれ、いつの間にか夏生さんのことも、詩を読むことも忘れてしまった。それが昨日、YouTubeで配信をされていることを知り、聞いてみたら、私の求めている世界がそこにありました。

若い頃が一番輝いていて、年取るともう終わり、老後はしぼんでいくだけのような風潮があるけど、年取った先にこそ黄金期、いちばん楽しい時があるって小さい頃から思っていた。

ナツヲさんのお言葉

YouTubeでは静止画が映し出され、音声が乗っているだけのシンプルなものだけど、話している内容がどれもこれも興味のあることだらけだった。そういうのが好きでいていいんだよね、自分はそこでもいいんだよね、ということを再確認させてくれるというか、この気持ちは十代の頃や子育て時代に感じていたことと同じ気持ちだ。

しばらく自分の世界を安心して見つめることができそう。……何が言いたいのかハッキリしない文章になってしまったけれど、自分の中では生活の楽しみ方の腑が落ちたというか、ある意味、自信を取り戻した。今日からまた自分自身と静かに向き合ってみよう、来年は夏生さんに会いたいです。いえ、会います。

↑ 夏生さんのYouTubeチャンネル。


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