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私は好きだけどね

「愛されてきた」ということに全く価値を感じないのは私が無自覚にそれを享受してきたからだということなのだろうか。

もちろん、交際相手に愛されていなかったら嫌だ。
でもそれはお互いに愛しているから成り立っているはずの関係がそうではないことへの不快感からのものだ。
万人から愛されなくても別に構わないし、友達が多いとか少ないとか今までの交際相手の数を気にしたことがない。

というのも、友人が自分はいかに周囲の人たちから「愛されているか」ということを主張する人だったからだ。
彼女は親に「愛されて」いて友人達からも「愛されて」いて、もちろんたくさんの異性から好意を持たれていて「愛されて」いるのだということを日々私に言い聞かせていた。
彼女が自慢のように私に聞かせる時の、口調とは裏腹な汗の浮かんだ必死な形相や暗い瞳は見るに耐えず、言われれば言われるほど信憑性は薄まり、嘘のように聞こえた。
私は彼女が今も昔も苦手だ。関わっていたのは同じ競技をしていたから仕方なくで、SNSでの過剰な自己主張と自己愛にまみれた長文のポエムは思い出すだけでげんなりしてくる。

もう連絡を取ることはせず、彼女のSNSも全てシャットアウトしている。自慢話だけなら良いけど、私のことを貶して自分の優位性を示し始めたからだ。そこまで付き合ってやる義理はない。

それでもたまに彼女のことを思い出す。
いかつい体と眉に皺がよった形相、悲しい人だと思う。
彼女と顔を合わせる時、たぶん私はいつも嫌な顔をしていた。本当にうんざりしていたから。

彼女が愛されることにこだわる理由を知っている。
小さい時からずっと、親の関心が欲しくて悪いことばっかりしていたと漏らしていたからだ。
本音を話してくれた時、嘘でも
「私はあんたのこと好きだけどね」
と言ったら彼女はどんな顔を見せただろうか。

私はあの子のことを好きになれただろうか。




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