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自己紹介

 もし小学生の頃に前回りが出来ていたら、今の自分ではなかったと思う。運動神経が悪くても出来る子は沢山いたから、単に運動神経が悪いということだけが問題ではないのだろう。自分を信じて鉄棒を握って、重力に身を任せて、逆さまになるだけ。大切なのは想像力と少しの勇気だ。今も昔も私はそれが苦手だ。

 話すことも、書くことも大好きだけれど、それを何かに残すことは恥ずかしい。その恥ずかしさを克服させるために、noteを始めてみた。


 オーストリア在住の24歳。
 宮城県仙台市に生まれ、ごくごく普通に暮らしていたが、結婚を機に夫の仕事の関係で人生初の海外生活が始まる。
 前職は児童養護施設の職員として3年間勤務し、退職後は海外で一緒に生活するために1年半アルバイトを掛け持ちして、今に至る。

 始めにも話した通り、私は挑戦や失敗を避けて生きてきたせいで、あまり自分に自信がない。自分が特別自己肯定感が低いと勘違いしているわけではないけれど、人並みに自己嫌悪になったり周りと比べてしまうことも多い。
 海外に住むということは、誰しもできることではないし、自分を変える絶好のチャンスだと思った。海外に行けば自分も変われると思っていた。けれど、実際のところ人間はそう簡単には変われないという現実に打ちのめされている。 
 海外で生活している人の多くはやりたいことや目標がある人ばかりだ。ただ彼と一緒に生活したいという一心で来てしまった私には、それ以外何もなかった。家族も友達もいない、言語も通じない、英語もダイエットもしたかったけれど、何の目標もないのにモチベーションを保つことは難しい。この生活のためにたくさん働いて辛い遠距離を乗り越えたはずなのに、すごく苦しかった。
 彼には、仕事ややりがいを感じるものがあるけれど、私にはない。そのせいで彼に依存してしまっている気がしたし、自覚はあるのに口ばかりで結局何もしようとしない自分がもっと嫌いになった。現状、まだやりたいことや変わったことは何もない。自分自身の問題は山積みだけれど、愛する人と自然豊かな場所で毎日穏やかに過ごせている今は、紛れもなく人生で最も幸せだ。こんな素敵な生活と経験をさせてくれている彼には感謝の気持ち以外見つからない。
 私は何も自慢できることはないし、自分に自信はないけれど、だからこそ得られたものもあると思う。多くの人は自分より優れていること自覚しているし、変なプライドがないから、人を敬い、様々な意見を受け入れ認めることができる。人に多くを求めないし期待しない。自分自身にコンプレックスが多いから、弱い人の苦しみやコンプレックスを理解することができる。上には上がいて、下には下がいることを理解しているけれど、自分の苦しみは自分にしかわからない。例えば、美しい女性が自身に酷くコンプレックスを抱いていたとして、世間はそれを皮肉だとか、自分に比べたら大したことはないだろうというかもしれないけれど、苦しみは誰かと比べるものではないと思う。その人にとってそれが10ならば、それは10なのだ。いつまでも人の痛みがわかる人間でありたい。

 自己紹介といえるのか心配だが、文字に起こすことで自分の気持ちを整理できた気がする。これからも続けていきたい。







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