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ちょっとだけ前向きな言葉(247・248)

●自分の決めた事だからと他人の助けを拒むのはただ甘えているだけにしか見えないことを知っておくべきだ。

 ある目標を達成しようとつき進んでいると、困難や障害にぶつかることがよくある。このとき、できるだけ自分一人で問題を解決させることにこだわり、他人の助けを断ろうとすることがある。しかし、この行為はそれだけではなく、困難にぶつかっている様子を誰かに見てもらいたいという願望あっての行いである事も考えられる。自分の誇りや独立心が邪魔をして、他人の支援を受けることを拒んでしまうフリをして実は他人に頼りたい気持ちが先行している事もあるが、結果として目標達成が難しくなる。

 他人の助けを受けることは、時には賢明な選択であり、一人で解決できない問題や課題に対処するのに役立つ。しかしながら自分でどうにか解決させようという気持ちが先行するのもわからなくもない。問題なのはその姿を誰かに見てもらいたいという恣意がそこに怒りがちだということだ。そんな時の状態は往々にして他人をあてにしている甘えが見え隠れしている。そして決して素直ではない。


もしかしたら今の強がりは溺れている時の救いを拒んでいるのと同じかも知れない

 他人からの知識や経験を利用することで、より効率的に目標に向かって進むことができるのだということを今一度思い返し、そうした場合はどのように問題が解決できるか、他人との関係はどうなるかを振り返る事ができたらと思う。そこで損なわれるような人間関係が想像できるのでなければ積極的に助けを乞う方が賢明ではないだろうか。そしてもう一つ、自分だけですべてを成し遂げようとする姿勢は、達成困難な状況に陥る可能性も高くなるし、人間関係を損ねる可能性も含んでいると思う。

 自分の誇りや独立心が適切な場面で協力や支援を拒むことが逆に進路を阻むことになりかねない。また頑なに他人の救いを拒むのは暗に甘えている事が多いという事も心しておくべきだろう。他人からの助けを受け入れる柔軟性と賢明さが、成功への道を開く一つの方法である。

●自分は常識のある人だとは決して思いたくないし、そんなに常識ばかりの人間には魅力も感じない。

 「常識的であること」を過度に強調し、他の人と同じように考えることを重要視しすぎることの脆さ、そして他人に対してそれを無理強いする事の怖さを考えてみよう。一般的な考え方や行動パターンは社会的な安定や円滑なコミュニケーションに役立つものだが、度を超すと個性や独自性を犠牲にしかねない。

 他人と異なる視点やアプローチを評価したり、個性的な考え方や行動を尊重たりすることは日常生活の中では一つの刺激でもあり、そこから新たなアイデアや発想もうまれてくるものだ。人々が自分らしさを表現する上では時として常識でがんじがらめにする事が悪影響を及ぼすこともある。

常識ばかりにとらわれるのは重荷を背負う事と変わりない。

 個性と独自性を尊重し、他人とは異なるアプローチを採ることが時には魅力的なことであることを知っておくべきだと思う。一方で、あまりにも極端な非常識や異端的な行動も問題があることも忘れないように心しておくべきだ■


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