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【Essay】夕べにすべてを知るということ

夕べにすべてを知るということ。

これはベートーベンの日記にある言葉らしい。好きな小説の中で引用されていた。もっとも、僕自身はベートンベンの日記を読んだことがあるわけではない。ベートーベンをよく聴くわけでもない。その小説のどのシーンで引用されていたのかも忘れてしまったのだけれども、この一文が、もう2年くらい頭から離れない。

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大学院の入学試験が近い。最近は図書館や研究室にこもり、黙々と読書と論述に励んでいる。

腰を落ち着かせて何かに取り組むことの大切さを感じるのは、決して初めてではない。ただ、今はそれを改めて強く感じている。大学院の受験のために(できるだけ)体系的に学び始めた(教育)社会学。蓋を開けてみれば、自分の勉強してきたことは全然体系立ってなどいない。教科書のような文献の購読や要約から始まり、そこから読書リストが増えていき、乱読していく…。随分と荒い/粗い勉強になってしまったなと思う。

それでも、やってきてよかったなと感じている。結果はどうであれ、物事を見る新しいレンズが、今までよりも密に自分のものになっている。タイに留学していた時に感じていた疑問も違和感も、新しいレンズを通すと、また違って見えてくる。あるいはよりくっきりとした輪郭を伴って見えてくる。

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そうは言っても、部活や学生団体などと忙しく動き回っている後輩に会うと、少し羨ましくも感じてしまう。

「部活と部活の間を埋めるために来ました!」

と、溢れんばかりの笑顔をもって研究室の扉を開いた。

国際協力に憧れていた18歳・19歳の頃、自分は今以上に忙しい日々を過ごしていた。国際NGOのプログラムに参加し、タイに行くために週3−4日でカフェキッチンのパートタイムに入り、隙間の時間にミミズののたくった文字と格闘していた。早く国際協力に携わりたい、早くタイに行きたい、早く何かをタイでしたい、早く…早く….。スケジュール帳の余白が惜しかった。

どこまでも貪欲だった。どこまでも必死だった。急いでいるようで、回り道をしていることも知らずに…。それでも、稼いだお金でタイへ行き、友達や知り合いの方々に(時に非常に厚かましくも)頼って、拙いタイ語でバスと電車を乗り継ぎ、2つのバックパックを背負ってタイを歩いた。

あの時の自分がいたからこそ、今の自分がある。ぼやけているけれども、確かにそこにある何かを掴みたかった。「自分探し」という使い古された言葉でまとめたくない。いや、探していたのではないかもしれない。ぼやけている自分という存在に、確かな輪郭を得たかっただけなのかもしれない。

でもあの時の葛藤を、今更ここでタラタラと書き綴るつもりはない。

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あるフィールドワーカーの自伝的文章に、こんなことが書かれていた。
書斎とフィールドの行き来がこの一本の研究論文に昇華した。

今なら、この行ったり来たりの大切さがわかる。わかるようになるには、皮肉にもパンデミックが必要だったのだけれども…。

動的dynamicな〈すべて〉の価値は静的staticな〈夕べ〉になって初めてわかる。

「静」と「動」の均衡を繊細に保ちながら暮らしていきたい。でもそれを保ち続けるには、自分は幾分不器用だ。そんな当たり前のことを、自分は〈夕べ〉になって考えるのだ。

この〈夕べ〉も、後から見ればまだ「動」の範疇でしかあり得ないことを薄々察しながら。

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