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【NGOミニマム寄稿エッセイ④】山岳少数民族の子どもたちはどこから来てどこへ行くのか〜17歳のアカ族の少女 “ウィウ” のライフストーリー〜

タイ北部チェンライにて「難民・孤児・貧困の子供たち」への支援をおこなっているNGOミニマムのご支援のもと、4本のエッセイを執筆中。エッセイを通して、タイの山岳少数民族から見るタイ社会の一端を紹介。

今回は今までと一味変えて、山岳少数民族の子どもたちについて考えるための、”物差し” について書こうと思う。具体的には、チェンラーイに住む17歳のアカ族少女 “ウィウ(วิว View)” を設定し、彼女が今までどのような人生を送ってきたのかを描写してみる。その際、彼女やその周りの人々が、どのような社会的な出来事に直面し、翻弄され、時にそれを利用して、どのような葛藤の末のそれぞれの選択に至ったのか、彼女のライフストーリを通して考えていきたい。

もちろん、この少女は実在しない。自分が作り上げたペルソナであり、タイの全ての山岳少数民族がこのような道を歩んできたわけではない。山岳少数民族の生き方や彼らの身を置く社会も実に多様であり、一概に「これが山岳少数民族の生き方だ!」「これが彼らの直面している社会だ!」などと語れるようなものではない。自分の “ペルソナによるライフストーリー” というこの試みも、決して彼の生き方や彼らのいる社会のあり方を規定しようとしているわけではない。むしろその逆だ。

ペルソナによるライフストーリーで目指したいもの

かつての自分のような高校生・大学生含め、国際協力に興味を持つ人は少なくない。そのような人は、こぞって「本物」を見ようと現地へ訪れる。全く間違ったことではない。ただ、あまり下調べ等もせずフィールドに入ると、そこで見たものだけを根拠に、「○○が必要だ!」「○○を支援すべき!」と語り出してしまう人が本当に多い印象がある。気持ちは痛いほどわかる。またこれが文字通りの “緊急支援” が必要とされている現場であれば、ある程度理に適っている場合もあると聞く。

ただ、少なくともタイの山岳少数民族の場合、彼らを取り巻く社会状況はあまりに複雑なのだ。前提としての知識や理論的な視点がなければ、問題の所在や支援のあり方について考えることは難しい。さまざまな知見を持ち寄って、深く考える必要がある。

ペルソナによるライフストーリーという自分の試みは、目の前で起きている事柄(つまり、目の前にいる子ども)と、この事柄の背景にあるもの(つまり、子どもを取り巻いている社会的な事情や出来事、そして変化)を結びつけて考えるいい「物差し」になると考えている。前者だけでは、いわゆる「実情」を理解したとは言い難い。しかし、後者だけもどこか無味乾燥だ。その2つをつなぎ合わせた「物差し」を使うことで、支援者の皆さんやこれからチェンラーイに訪れる方達を初め、タイの山岳少数民族の子どもたちについて関心を寄せる一般の人々の理解の助けになることを望んでいる。

理論的背景

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