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【Essay】 #日々是統計学 / #赤信号、みんなで渡れば怖くない

2月の終わりに日本に帰国してからずっと、社会統計学を学び直している。大学院に入る前にしっかりと思い出し、身につけておきたい。卒業を控えたこの3月を有効に使いたい。そんな思いが相まって、入門本を古本で購入した。分析ソフトの「R」を使って学ぶというのがこの本のコンセプトで、実際に手を動かして勉強できるところがいい。

その分、負担が大きいのも事実だ。1章ずつの分量が意外に多く、細かく詰めて作業しているといつの間にか日が暮れている。

正直、大変だ。本当だったら、休日なのだから窓際に寝転んで小説でも読んでいたい気分なのに…。

朝から晩までパソコンに向き合う自分を見ていたある日、父親が発した言葉がこれだった。

「日々是 "統計学" だね」

直訳してしまえば、「統計三昧」だ。ただ、やはり「日々是好日」という言葉から来ているからだろうか、「統計三昧」という言葉では感じえない柔らかさがある。「生活」という繰り返しの中にこそある営みを、懇切丁寧に編んでいこうとする、自分の父親らしい表現だと思った。

期間限定である統計学の勉強も、「日々是統計学」と言われれば、日常生活の中に埋め込まれているような感じがする。勝手な思い込みに過ぎないのだけれども。

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統計学をやっていると、「近似」という言葉がとにかく頻繁に出てくる。厳密には違うけれども、それとして捉える。そういうニュアンスを含んでいる言葉だ。数式が言葉になる学問であるのに、実は大雑把な前提が多い。そもそも統計学が立脚している「確率」という概念自体が「確からしさ」なのだから。

「世の中、意外にいい加減にできている」

ある就活中の後輩はこう言い放った。「学チカ」とか「コミュ力」とか「専門力」とか、就活を取り巻く言葉たちも、実は相当、曖昧だ。世の中は「近似」なものだらけなのと同じように、社会も緩い仕組みで出来上がっているのかもしれない。そんなだいぶ飛躍したことを、プログラミングをしながら感じ続けている。

大雑把とはいえ、「R」では一文字でも異なったプログラミングをしてしまえば、すぐにエラーが発出される。検定も回帰分析も、「緩い」前提で成り立っているのだけれども、やはり丁寧にタイピングしていかなければならない。

いい加減に成り立っているようなものでも、実は丁寧さに支えられている。人間、完璧にはなれないものだけれども、この丁寧さはいつでも大切にしたいと思う。

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そういえばタイ留学中に、友人が飲みながらこんな話を振ってきた(彼は自分より3歳ほど年上で、日本語専攻ではないものの、日本語を澱みなく話していた)。

日本語には「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」という使い古されたフレーズがある。彼曰く、このフレーズの話し手を変えると以下のようになるそうだ。

日本人「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」
ランプー「赤信号、みんなで渡れば、みんな死ぬ」
タイ人「赤信号、とりま渡って、いいんじゃん?」

彼曰く、一番上のフレーズは日本人の集団主義や集団意識の表れらしい。真ん中は紛れもなく自分の性格を表しているという。一番下は、日本・タイを跨って生きてきた彼の視点から、タイ人のおおらかさを、ある意味では皮肉っているそうだ。

ちょうど、留学先の事務作業におけるタイ・クオリティに手こずっている時期だった。慰めの意もあってか、こんな言葉をかけてくれた。

「タイ人の仕事のやり方や対人関係に、ランプーがイライラするのはよくわかる。まあ、こんなに緩くてもこのタイ社会は成り立っているわけだから、一番はランプー個人の性格によるものだろう。ランプー自身が適応していかなければならない。でも、どうしても確認しなくてはいけない赤信号もあるよね。タイ人であれば、赤信号でも車が来なければ渡ってしまうだろう。でも実はババナの木の裏から車が来て、轢かれて死ぬリスクだって大いにある。そのリスクを知っていて取るのか、知らずに轢かれ死ぬのか。それは大きな違いだよ」

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彼も自分も、決して「日本人」や「タイ人」といった大きな集団に何か偏見まがいなものを見出したいわけではない。単純に、「曖昧さ」や「緩さ」への認識の違いを楽しんでいるだけだ。だから同時にいろんな人に聞いてみたいと思うことがある。

あなたは、「赤信号、〜」の言葉をどのように繋げるだろうか。
自分自身は、赤信号はみんなで渡れば怖くないかもしれないけど、みんなで渡ってみんな一緒に死ぬリスクだってあるわけだから、律儀に「待つ」という選択肢を取りたいと思う。

「何を恐れているのか?」

「車が来なければ待っても待たなくても同じでしょう?」

…と、言われるかもしれない。ごもっとも。ただ、赤信号を急いで渡らなくてはいけないような緊急の用事か何かがあるわけではないなら、立ち止まっていたって良いじゃないか。

青になってみて、結局車なんて通らなかったじゃないか。待つなんて馬鹿馬鹿しい。そう思うのであれば、人も車もない交差点を青信号で渡る自分を思う存分笑えばいいさ。少なくとも、自分は今日という命ある一日を、安全に生きていけるのだ。赤信号は渡らないけれども、気持ちにとても余裕がある考え方ではないか、という密かな自負もある。

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「緩くて」「いい加減な」社会、「丁寧さ」に支えられている生活。「緩さ」は社会の必要条件だ。一方で、「丁寧さ」が「ゆとり」や「余裕」を奪うものではない。

…ということで、今日ももう少しだけ、統計学の勉強に戻ろう。

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