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『ゴジラ-1.0』は「幻想」に逃げた『シン・ゴジラ』と違い「現実」を描き戦前日本そして現代世界を乗り越えようとする作品である【ネタバレ順次警告】
本作に対しては肯定的な人すら「GHQや日本政府がゴジラに何もしないのはおかしい」という批判がある。だが、これは意図的なものであり、かつ、「不自然」でも無い。以下で順を追って説明していく。 ※冒頭のネタバレ 主人公(敷島浩一)は特攻隊員だが、(巨大化前の)ゴジラに部隊ごと襲われたことで生きながらえるも、上官の整備兵橘から「お前のせいでみんな死んだ」と怒鳴られる。本土に帰った後も隣人から「生きて帰ってきた恥知らず」と罵られ、「生きて帰ってこい」と言った両親は空襲で死んでいた。
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「翻訳」でも「プログラム」でも「論文」でも「誰でも同じようになるもの(創作性が無いもの)」には実は著作権がなく、それは一般常識とも合致し「機械翻訳」「ChatGPT」が出力しても問題ない
著作権法の「著作物」の定義は以下の通り。 これを見てふと思ったのは「プログラムって思想や感情を表現したものではないから著作物にはならないのでは?」ということです。親切にも法律には著作物の例示があり「プログラム」も含まれているのですが、元の著作物の定義からはプログラム、いや論文とかだって外れるのでは? で、検索してみるとどうも「思想又は感情」というのは「人間の精神活動全般」を指し創作性さえあればいいようです。そして逆に言えば創作性が無ければ著作権も無い、と。 参考: 新谷由紀