ランダウの「力学」は物理的直感を数学的な厳密性の上に置いた失敗作である

ランダウの「力学」は理論物理学教程の第一巻であり、古今東西、力学の教科書の名著として知られています。しかし、この教科書(のロシア語第1版)に痛烈な批評を書いた物理学者がいます。フォック空間の名前で現在にも知られている、Vladmir Fock です。本稿の最後に全文を添付しますが、ソ連の Uspekhi という雑誌に掲載されたものを少し引用してみましょう。

「かくのごとく傑出した物理学者であるランダウ教授がこれほど多くの間違いを含んだ本を書くとは不思議である。新しく未開の分野の物理学では、不注意な叙述や厳密性を欠いた推論が許されることもあり得る。しかし、古く確立した分野である古典力学においては、特にこれが教科書であるとすれば、明快で厳密に間違いがないべきであろう。この本を全体の評価としてみれば、失敗作であったと認める他はない。もちろん、この本で議論されている問題のいくつかは正しく取り扱われている。だからといって、それでこの本が良い教科書であるということにはならない。だいたい、例えばケプラー問題を著者がきちんと解いているとしても、それにどれだけ評価を与えられようか?読者にはそれよりはもっと期待する権利がある。」

いやあ、現代の匿名レビューでも見たことなないほどの煽り力に溢れた厳しいレビューですが、これだけ引用して科学的な内容について踏み込まないと誤解を招きかねないので、少し補足していきたいと思います。フォックが批判しているのは、哲学的な物理学へのアプローチの仕方を除けば、大きく2つあって、1つは最小作用の原理の誤解、もう1つは(非)可積分の運動の漸近系への誤解です。後者に関しては2版以降で(ランダウも間違いを認めて?)ガッツリ改定されたので、本稿では前者に的を絞りましょう。

最小作用の原理は、数学的な厳密性を捨てると「始点と終点の座標と時刻を固定したときに、運動は作用汎関数を最小にするように決定される」と言えます(実際ランダウはそう言っています)。しかし、フォックはこれを「文字通り」に解釈するランダウの教科書は問題があるといいます。フォック曰く、球面上の質点が北極から南極へ移動することを考えなさいと。始点(北極)と終点(南極)を指定しただけでは運動は決まらない、質点がどの大円を通るかその運動は北極での速度を指定して初めて決まるでしょうと。

また、ランダウの教科書には「質量が正であること」を「最小作用の原理」から導くという前代未聞の画期的な議論があります(!)。これもフォックはナンセンスだと切り捨てます。ランダウの議論を簡単に紹介すると、もし質量が正でないと自由粒子の作用が自由運動に対して最小ではなく最大になってしまう、というものです。しかし、フォックはそもそも「最小作用の原理」は物理的運動は作用汎関数の「停留点」であるということを言っているだけで、最小値が運動の実現になっていない場合がいくらでも作れるので、ランダウは「最小作用」という文字に騙されている(!)と主張します。よって、質量が正であるランダウの証明は馬鹿げていると。

フォックはこの誤謬の原因は、ランダウの数学的な厳密性を損なっても、「最小作用の原理」からすべてを導けるという物理的直感第一主義、あるいは物理帝国主義への傾倒にあると言います。それはそうなのかもしないしそうでないのかもしれません。一つ言えるとしたら、ランダウ・リフシッツの理論物理学教程は数学的に厳密だ(から難しい)と言うのは誤解で、物理を数学の上に置くような考えに基づいた教科書であるということです。

そこの哲学的な部分は個人の好き嫌いに任せるとして、60年以上たった現在の立場から、この「最小作用の原理」を巡る議論を眺めてみることは有用かもしれません。

量子力学によれば、最小作用の原理は(ファインマンの)経路積分の鞍点近似であると理解することができます(ただし、鞍点の意味が正確ではないとフォックに怒られるかもしれませんが)。フォックの考えた、始点と終点の位置で運動が決まらない可能性があるという現象は、経路積分の作用汎関数のゼロモード、モジュライとして現在の理論物理学ではよく知られています。この寄与は特別に考える必要があって、超対称性がある理論ではこの寄与だけが量子力学の経路積分の計算に効くということが多々あります。現在の超対称性場の量子論の研究をしている人はゼロモード、モジュライの積分をしているだけと言ったら怒られるでしょうか?

もう一つの作用が「最小」なのか?ですが、経路積分のテクニックとしてユークリッド化というものがあります。自由粒子の質量が「負」であっても、古典力学ではまったく問題ないのですが、量子力学を考えようとすると、ユークリッド化された経路積分が定義できるか?という問題と深く関わります。また、最小でない極値が果たす役割というものも最近の量子力学の漸近解析(リサージェンス理論)などで活発に議論されています。また、一般相対性理論のアインシュタイン・ヒルベルト作用はアインシュタイン方程式の解が作用の最小値ではなく、あろうことか作用は正に負にも抑えられていないという事実が量子重力理論の経路積分による定式化の困難の一つとして知られています。量子重力が完成した暁にはフォックとランダウのどちらに軍配を上げることができるのでしょうか?

最後に、フォックのレビューの英訳を添付しておきます。(誰が英語に訳したのか知っている方はご連絡ください。知り合いのロシア人からはロシア語の原典のコピーを頂きました。)


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