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回想”コロナ禍でのイタリア生活”その1 ~2020年~

イタリア北東部のヴェネト州でコロナ禍を過ごした回想録です。家族や友人向けのSNSの内容をまとめております。
イタリアに住む日本人との交流は全くありませんでしたが、幸運なことにイタリア人の友人、知人ができたおかげで、イタリア生活を楽しむことができました。
私が引っ越した翌日には夫はドイツに出張、この後も私だけイタリアに居ることが度々あり、イタリア人からは信じられない!の大合唱💦
遠くの夫より近くの他人 です。

そして、コロナ禍でイタリア⇔日本を6往復した経験も、平時なら知り得なかった日本と欧州との違いを知ることになり、併せてご紹介する予定です。

2020年1月
既にアジアでの新型コロナウィスル流行のニュースが広まり、中国人観光客がぱったりと・・、初めてヴェネツィアで"日本人観光客"を見つけられました。私が訪ねた時は、人気のサン・マルコ寺院も待ち列ゼロ😅

ヴェネツィア・ドゥカーレ宮殿付近

2020年2月
ダイヤモンド・プリンセス号での新型コロナウィルス集団感染発生、イタリアでも連日トップニュースでした。
Yokohamaという名をどれだけ聞いたことか。
このニュースのせいかと思われますが、初めて差別的なことを経験、これが最初で最後だったのは幸いです。
私が住んでいた旧市街地では、ゴミは夜間7-9時頃マンション前の歩道に出し、翌朝ゴミ箱を回収します。ところがある日、我が家のゴミ箱だけが道路に。
何か事情があってのことか、悪気はなかったかもしれませんが、これ以降は、就寝前に回収し、ゴミ箱に書いた名前も消しました。

2020年2月21-24日
南イタリア・3泊4日の旅の最後に・・・

世界遺産の町・マテーラ
洞窟住居が並ぶ独特の景観
世界遺産の町・アルベロベッロ
とんがり屋根のお家トゥルッロ(複数形はトゥルッリ )
プーリア州の州都・バーリ

海沿いの街ポリニャーノアマーレで、今年初めてカーニバルを垣間見ました。
明日は地元トレヴィーゾ のカーニバル、そして次はヴェネツィア…のはずでしたが、開催されたものの期間途中で終了となりました。

政治家の方々を鍋で料理している山車

2月23日夜
当時のコンテ首相により「イタリアでのコロナウィルス感染拡大と対策」に関する首相令(DPCM と略し、ディー・ピー・チー・エンメと発音します)が発出され、会見をテレビで見ました。
この時は、どの程度大変な発表かは正直理解していませんでした。

3月7日
夫の誕生日なので、ミシュランガイドに載っているリストランテへ。
何ごともなくディナーを楽しんだのですが、翌日から営業制限開始で、偶然にもこの日出かけておいて良かったです。

3月8日
飲食店は夜間営業禁止

3月8日以降
次のようなルールのもとでの生活が始まりました。

守るべき5か条
  1. 家にいましょう
    私たちは厳密に必要な場合にのみ外出します:仕事や食品等の買い物、または緊急事態のため

  2. お互いから安全な距離を保ちましょう

  3. 挨拶でも物理的な接触を避けましょう

  4. 混雑したエリアには行かないようにしましょう

  5. 頻繁に手を洗いましょう

1番目フレーズの1人称単数形は、ハッシュタグ化され有名になりました。
#iorestoacasa → io resto a casa → 私は家にいます
私も使っていました。

3番目は大問題ですね。ハグ&キスの国ですし、初対面でも握手ぐらいはします。

外出時には移動に関する申請書を携帯することが義務付けられ、警察に呼び止められたときは、これを見せます。
総領事館からは日本語訳も配布されました。私のイタリア生活では、日本語訳を頂いたのは、これが最初で最後ですが、日本人の多い州に住んでいたなら、珍しいことではないんでしょうね。
こちらは、英語版ですら配られたことはありません。

とはいえ、徒歩5分圏内にスーパーマーケット3軒、ドラッグストア2軒、薬局も何軒もあるおかげで不便さを感じることはなく、長蛇の列、買い占めといった混乱もなく、マスクや消毒剤なども、いつでも買えました。
店舗に入る時は、基本的に1家族一人、店舗内に一度に入場できる人数は、店舗の面積により決められているようで、レジ待ちでは目安となるよう1m毎に線が引いてあり互いの距離をとりました。
特に怖さを感じることはなく、会社からの帰国命令もありませんでした。

3月12日
終日営業禁止(宅配は許可)となりました。そうとは知らず、11日のお買い物帰りにいつものルーティン・ジェラート屋さんへ。
これで、しばらくお預けとは😢

3月22日
日に日に制限が厳しくなり、イタリア全土で、生活必需品関係以外の営業、操業は禁止。日曜日は食料品店も営業禁止となりました。最終的に移動可能範囲が自宅から200メートル以内に。
夫はリモートワークではなく、ずっと出勤しておりました。もちろん許可されているからです。

3月23日
日本からヴェネト州にアビガンが届いたニュースを聞きました。まずはパドバ大学医学部で使われるだろうと友人は言っていました。

ヴェネト州では、洗える不織布マスクが間もなく配布され、日付が正確に分かりませんが、3月26日までには完了していたと思います。
もともと多少のマスクを持っているうえ友人が送ってくれたので、気を使って取りにいかなかったのですが、大量にあったようです。
一時帰国からイタリアに戻った際、スーパーに山積みされたマスクを頂きました。
ちなみに、イタリア語では、マスクは mascherinaマスケリーナ、ヴェネツィア・カーニバルで有名な顔用マスクは mascheraマースケラ といいます。

3月28日
飛行機が激減するとの情報で、一度帰国することに。
アリタリア航空は、3月29日から羽田~ローマ(フィウミチーノ空港)線に就航することを発表していて、ちょっとしたイベントもあるはずでした。
私もその便を予約し楽しみにしていましたが、24日夜に突然キャンセル・・・。
領事館からも速報で29日以降の予約が現在できない状態になったとメールが届きました。
その結果、成田着便かフランクフルト経由で羽田便かで迷い、後者ルートのANAを選びました。

ローマ空港までマイカーで約550km、普段はあちこち渋滞するアウトストラーダ(高速道路)1号、見事に🚙走っていません。
空港では移動申請書のチェックがあり、私は「torno in Giappone(日本に戻る)」と書いただけでOK、夫も同じことを書きましたが、厳しい検査官に当たり、会社が用紙した英語と伊語の理由書まで見せることに。
”任務終了につき帰国”と書かれていたと思います。

この時期、既に厳しく移動を制限していて、ミラノ総領事館情報では、リモートワークだからという理由では帰国は認められなかった方、ミラノ空港への乗車を拒否された方もいらっしゃったようです。

乗り換えのフランクフルトも閑散としていました。飲み物やお土産を販売するお店が数店開いていたくらいです。

到着後はしばらく機内で待たされ、前方席から40人ずつ降機、空港内では長い長いコースを歩かされ、ようやくPCR検査場へ。5,6人の医師が欧州便の乗客全員を検査しますので、かなり待つことになります。お隣のブースで赤ちゃんが泣いていたのが今でも思い出されます。
続いてスタッフは5名ほどで検疫書類チェック(待機場所とそこまでの移動手段、待機期間、利用航空便と座席など)、最後は本来の検疫カウンターで自動体温測定と書類提出しただけで終わりました。
合計4時間半超、聞いていたよりは早く解放されました。

羽田で一泊し、レンタカーで自宅へ(政府からの勧め)、このような事態になり、日本の自宅も車もそのままにしておいたのは幸いでした。

翌日には検査結果が分かるはずでしたが、電話がかかってきたのは、4日後位。状況を考えれば、陰性者への電話が後回しにされても仕方ありません。

マスクをはじめ、衛生用品が品薄で、1か月後には衣類も調達したかったのですが、営業していない店舗が多く、ネットでもいつ配達されるか分からないような状況で、日本での生活はとても不便に感じました。

7月
ようやくイタリア生活再開です。
結局、約3か月間も日本に滞在することになってしまいました。
さすがに外国人観光客は少ないですが、制限はあるものの、穏やかな日常で、週末は積極的にドライブ旅行へ。

友人が幹事を務めたジャズ・イベントの座席

8月
サルデーニャに2週間のバカンス!
スペイン、クロアチアと迷いましたが、日本からより時間がかかりそうな目的地にしました。

メンタルもフィジカルと同様に重要
ビーチで1日中のんびり♪
誰もマスクをしていません
機内では必須、全員マスクをしています

2020年10月
ベルガモでの写真をチェックしたところ、ほぼ全員マスクをしています。
この頃から再び規制がきびしくなったようです。

新婦もマスクをしています@ロンバルディア州のベルガモ


2020年11月4日
新たな首相令DPCMがでました。
病院の状況に応じ、州ごとにレッド、オレンジ、イエローに色分けされ、それぞれの色のルールに従い行動します。
日本と違い、お願いではありませんので、守らなければ厳しい罰則があります。私の住む町でも、複数の未成年が夜間外出し、高額の罰金を払っています。

テレビ放送から:左はコンテ首相、右はイエローエリアのルール
「仕事や健康など特別な事情がない限り、22時~5時の外出を禁ずる」
11月4日に発表された州ごとに色分けされたマップ
11月13日はこのような状態に

ヴェネト州は古く使われていない病院を、コロナ感染者専用の病棟として復活、病床はかなり余裕がありました。

日々の暮らしはそれなりに自由で、特に週末は別の州まで遠出もし、イタリア生活を満喫していました。
ただし、クリスマスや新年のパーティーを盛り上がらせないために、私が帰省している間のルールは厳しかったようです。

12月12日 Xmasランチへ
飲食店の営業は、夜間はテイクアウトのみです
12月中旬のイタリアンアルプス

年末年始休暇は日本に帰省、今回はトルコ航空です。機内では消毒剤やマスクセット、食事時には食料&飲料が入った紙袋を頂きました。

イスタンブール上空
イスタンブール空港
私の行動範囲内では、通常通りの営業だと感じました

羽田空港に到着後は、唾液での検査に変わり、空港で検査結果を待つことになりました。相変わらず日本のルールは厳しく、レンタカーで自宅へ移動し、2週間自宅で待機しました。
余談ですが、レンタカーの乗り捨て料金はとても高いです。それでも大勢の帰国者が借りるので、営業所は大忙し。受付の女性が待っている私達に「誰も悪くない。悪いのはコロナだけ!」とハキハキ言っていたのが印象的でした。
外出は、出国前にしゃぶしゃぶを食べただけですが、庭の掃除ができたのは良かったです。

次回は、コロナ禍でのイタリア生活2021年です。

追伸:
人間ドック、海外帰国者と分かったためか、某国立大学系検査機関に断られ、インフルエンザワクチンに至っては、4か月先まで予約でいっぱいだと言われました。受付の判断なのか、組織の判断なのか、本当に驚きました。予約日はもちろん14日間自宅待機した後です。
幸いにも2軒目の検査機関では14日間経過していれば問題ないとのことで、同じ日程で受検できました。


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