思い出せば、帰り道。

自分の長所や強みってなんなのだろう。
自信のない、自己肯定感の低いわたしは大人になってもこの問いに頭を抱えている。
どうにか縁を切りたい問いなのだが、就職活動で聞かれる定番質問であるためだいぶ厄介な悩みとなっている。
この悩みは波線グラフのように一定のリズムを保ちながらわたしの脳を支配しにやってくる。
忘れかけた時にふと顔を出し、存在を思い出させてくる元カレ(例えのクセ)のような存在だ。

そんな

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向き合う数字 【私の起業20年のあゆみ】

こんにちは、香妃(@leiala)です。

私の起業20年のあゆみ。
これまでザザッと綴っていますが、いかがでしょうか?

まだまだ私の記憶の棚卸しをしている段階で、
の〜んびりな更新ですが、
どうぞ気長にお付き合いいただければと思います。

前回のお話はこちら。

■「数字」の違いへの戸惑い

アロマの小売をするようになってみて、
アクセサリーの製作販売とは全然経営の仕方が違うこと。

そこ

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バンドブームがやってきた【17】

BOØWYの解散(1987・12)尾崎豊覚醒剤取締法で逮捕(1987・12)

昭和63年実質昭和最後の年中学生3年生で多感だった僕は多大なるショックを受けながらものほほんと過ごす田舎の中学生だった。あの頃は毎日がショックの連続だったのかもしれない。

以前の記事でも書いたが尾崎狂だった僕とBOØWYが大好きだった友達はその前後に台頭してきたバンドに興奮していた。そして卒業したらバンドを組もうと約

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初一人旅はロマン溢れる東京都、小笠原諸島へ

一人旅に出たい。出来るだけ遠くへ。

あらゆる世界を夢見て、遠くの地へ思いを馳せた。

行動力がなく、何となく日々を過ごしていた大学生活。

せっかく時間があったのに……とそんな自分に気づいた私は、今や大学三年生。今はまだ見ぬ世界からの刺激を求めたがっていた。

海外の一人旅はハードルが高い。言語、文化などあらゆる壁がある。
それなら国内で一番遠いところへ行こう。

そう思い考えていると、果てしな

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青春の光と声

この曲を聴きながらお読みください
ちょうど読み終わる長さです

まさか卒業式で泣くなんて思ってもみなかった。
式の間も、卒業証書を手渡されたときも平常心だったのに。
これから校舎を出て、在校生が拍手と笑顔で見送ってくれる中を校門に向かうというところで、全校生徒から恐れおののかれている月影先生のようなおっかない音楽教師に思いがけず励まされたんだ。
それで不意をつかれて、涙が止まらなくなってしまった。

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なかなかいただけない貴重なスキをありがとうございます!
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#8 1986年&87年の憂鬱2

小田急線の梅ヶ丘駅から歩いて3分のところにブラジリアン柔術ジム SPARCREW を開設した大川です。

当時は洋楽だけではなく邦楽ライブにも色々と行っていて、それこそメジャー系をスタジアムで、コアで良質なバンドを都内の新宿ロフトや神楽坂エクスプロージョン、目黒鹿鳴館などで、と振り幅も凄かったです。

地元に29Barという俳優の白竜さんが経営するライブハウスが1986年頃にいきなり出現して、ブル

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中学時代にいちばん後悔したこと

あれは中学3年生のとき、穏やかなお天気の6月の午後だった。
いよいよ明日から修学旅行という高揚感で気もそぞろの下校前、ホームルームでのことだ。

思い出したように唐突に担任が言った。

「市田には修学旅行の積立金3万5千円、返すからな」

身体の不自由なぼくは二泊三日の修学旅行に参加できない。
それは仕方ない、バリアだらけの京都奈良だし。
というか、修学旅行の費用って積み立てで、それを母がしてくれ

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#7 1986年&87年の憂鬱1

小田急線の梅ヶ丘駅から歩いて3分のところにブラジリアン柔術ジム SPARCREW を開設した大川です。
1986年に中学を卒業し高校に入学するのですが、家から一番近い歩いて5分の公立校受験に見事に失敗し(当時の茨城県は公立校>私立校が高校受験の標準でした)自転車で15分の滑り止めの私立マンモス校に通う事になりました。今から考えると、この学校に進んで良かったと思える事も多々あるし笑い話なのですが、当

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二月十四日前後(その6)

家が見つからない。

気に入った物件は瞬く間に同じような貧乏外国人に契約されてしまう。携帯をね、持ってないからレスポンス悪いんだよね俺。家もきまらねーし適当で安そうな場末のヌードル屋へ。パッタイなどを食べる。

とても美味しいじゃないか。今でこそパッタイなんて日本のスーパーでも売っているが俺が初めて食べた時は日本での知名度も低いし、料理名の語感だけで何がなんだか分からないものを注文し恐る恐る食べた

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大凶。今日は駅でも道でも車掌と間違えられるんで気を付けて。
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中学生団員 28

そこそこ有名な進学校だった。

生徒たちは中学受験のため、小学生の頃から放課後は遊ぶことなく毎日進学塾へいき、夜遅くまで勉強し、休日に至っては朝から晩までずっと塾の中に籠って勉強させられていた。

俺は親に言われてしぶしぶ中学受験しただけで大して勉強もせず毎日放課後も6時くらいまで遊んでいたから、当然のようにA試験B試験と落ちてC試験でまぐれで入学できただけであったが、他の生徒たちはずっと勉強して

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