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日本は幕末以前の国勢に戻るということを教えてくれた

『平成三十年』(上)・(下)はまだバブル崩壊からたった4年後の1995年に朝日新聞に連載された作品である。堺屋太一というのは実は未来学者ではないかというぐらいに日本の転落劇を当てて来た小説家である。

この『平成30年』に限界過疎、自動車王国崩壊、50/80問題が書いてあったのだからすごい。だからと言って「改革だ!」と乗り出した信長総理が暗殺されるというバッドエンドなんだが。でもここだけ現実とは逆で構造改革を進め成功したから日本は貧乏になったのである。

1995年というのは生産年齢人口がMAXになった時代でまだ受験戦争が熾烈な時代だったときの話である。まあ、たしかにオウムの一連の事件で日本はやばいんじゃと一般人がようやく気付く時代だがGDPはドイツの3倍近く引き離してた時代であり日本が先進国から脱落しようだなんて当時の人は思ってなかっただろう。ゆえに私は『平成30年』の「上巻」のみ学ぶべきものがたくさんあったと当時から思っている。

1997年に書籍化された。この時日本経済新聞が日本のGDPシェアが15%から5%になる!!日本が消える!と警告した。やっとこの時「日本ってやばいぞ」と一般人が本格的に気が付いたのである。山一と拓銀と三洋証券が潰れて、、、から。

ちなみに2021年の日本国のGDPシェアが5%どころか4.7%ですのでとっくの昔に日本消滅となっている。もう日本はその他大勢のどうでもいい国という事である。

堺屋太一先生は「75年周期」という非常に重要な概念を『平成30年』で出していた。つまり明治元年から昭和20年の第一周期、昭和20年から平成30年までの第二周期という事である。でも……だとすると『平成30年』という小説はそれでも甘く書いており「小さくても光る国」として描かれている。当時の武村氏などが提案した概念に等しい。でもそんなもんじゃ済まなかった。日本が開国する前の国勢というのはGDP比約1%の弱小国である。今の感覚で言うと幕末当時の日本の国勢は「後発発展途上国」とも言ってよい。単に日本が植民地にされなかったのは当時のタイ王国のように緩衝国家になったからにすぎない。つまり当時の日本は植民地にする価値が無いほどどうでもいい国だったんだね。

(当時の緩衝国家は日本、タイ王国のほかにエチオピアやメキシコなどが存在する。日本は対ロシア・対アメリカ合衆国の緩衝国家である。ロシア帝国の南進を阻止するための緩衝地帯だったのだ)

まあでも誤差に等しいだろう。日本はドイツにGDPで抜かれインドにGDPで抜かれ1人当たりGDPは韓国どころかチェコに抜かれて先進国脱落がほぼ確定してる今となっては周期の年数は「誤差」でしかなかったということである。

これから日本はますます世界に相手にされないまま井の中の蛙として世界に生き、国勢が衰退し、改革ごっこしてもがき苦しみながら余計に国勢が弱っていく。そういうみっともない姿になることを堺屋先生は生前に教えてくれた。我が人生の師とも言ってよい。

もしかしたら75年周期ではなく92年周期で17年ほどずれてるのかもしれない。明治元年を起点とするから外れたのであって嘉永6年(1853年)を起点にすると92年周期である。つまりペリー来航の時を起点とすると堺屋先生の予言はほぼ的中では?

日本はこれから極東のどうでもいい国として生きることになる。超・高齢化で苦しみ人口が今後100年間で約-75%も減るという地獄を味わいながら……。

日本は幕末以前のどうでもいい国として今後は生きていくことになる。その時日本は『平成30年』の最後とは真逆の『第二の鎖国』を行い世界を見なかったことにして極東の島国で小さく生きるのであろう。

日本の歴史は「明治150年間」が奇跡なのであってこれが本来の日本という国の姿。このグダグダの姿が本当の日本国と日本民族の姿だったんだよ。たぶんな。


日本という国は単にここ150年間が奇跡だったのだ


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