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『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読んだ。

いつものオチなし読書感想文。

私たちJICA海外協力隊は(国にもよりますが)専用のドミトリーがあります。ラオスの場合、2階の真ん中にはソファや勉強机が置かれている広いスペースがあって、その壁面を、王国時代に派遣が始まり累計1000人を超えた先輩がたが置かれていったであろう本がぐるりと囲っています。ここに来れば、活字に飢えることはありません。協力隊、国際協力、村落開発、ファシリテーション技法、そんな本ばっかり読み漁るときはだいたい活動の事で悩んでて、そういう時こそできるだけ全然関係ない本を読むようにしています。本棚の前をふらふら歩いて、なんとなく目にとまった本をぱらぱら開いて。ソファにごろんと寝転がって読んで、そのまま寝落ちして、蚊にいっぱい刺されて寝汗かいて起きて。首都に行くとどうしてもカフェ巡りがしたくなるけど、そんなゆったりした時間もわりと好き。お金かからないし。

それでもお金を出して本を買いたいと思うときは、躊躇わずに買うようにしています。

最近も、憧れの物書きさんである糸井重里さんのTwitterで見かけた本がものすごーーーく気になって、スマホでぽちっと買ってみました。ラオスに居ながら日本の本が読める・・・本当に便利な世の中です。

それがこの本。幡野広志さんという写真家の著書、

『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』

末期がんで余命3年と宣告されたことをきっかけに気づいた「人間の生きづらさ」の根底にあるものについて、自分自身の体験や、病気を通じて出会った方々への取材から、誠実な言葉で書かれた本です。

いつ終わりが来るか分からない残りの人生を保つために選んだこと、諦めなければならないことが淡々と描かれているなか、「諦めきれない」部分が見えるたびに視界がちょっと悪くなることもありました。でもそれは決して、著者の幡野さんへの安い同情ではなく、病気になったことで選び抜いたものへの愛の大きさに、胸がいっぱいになったからだと思います。

癌と生きるか、癌と戦うか

癌と闘い、闘い、闘い抜いた人。関西のロックキッズなら誰でも知っている日本最大級のチャリティーフェス「COMING KOBE」の実行委員長であり、ライブハウス「太陽と虎」のプロデューサーでもあり、そして「ポルノ超特急」という年末フェスのメインアクトを務めロックキッズたちをブチあげる大人気バンド「ROTTENGRAFFTY」の生みの親でもある、松原裕さん。

カミコベには毎年行きたい行きたいと思いながら何かと重なって行けていませんが、「太陽と虎一周年記念興行 松原祭50乱発以上!!」の、セックスマシーン VS SEX MACHINEGUNS という、今思い返してみても超絶意味不明な組み合わせのライブに、一人で参戦したのを覚えています。当時私は高校生、往復6000円は正直イタタですが(イタいのは親か。ごめん)、お小遣い使い果たしてでも行きたいカオスな組み合わせだと思いませんか?

全く意味分からないけど最高に面白かった、今でも強く印象に残っているライブ。飛んできたボロボロのドラムスティック拾ったからかな、それともモーリーがバンTにサインしてくれたからかな。この組み合わせだったら面白い!と企画した、松原さんのおかげなんだな。

大学に進学して大阪に住むようになってからは、あのライブハウスには幾度となくお世話になりました。だからこそ、直接お会いしたことは無いけど、松原さんのことはとっても悔しかった。

闘病中の松原さんは、しんどい、痛い、死にたい、と何度もブログに書いていました。鼻から酸素を通して、ぜろぜろと痰が絡んだ咳をしてえづく姿がインスタにあがったときには「お願いだから休んでください」と心の底から思いました。でも、まだ死ねへん、カミコベを見届けたい!と、お見舞いに来てくれるアーティストと一緒に、弾ける笑顔で記念撮影をして、いつも楽しそうな様子をアップしてくださっていました。

直接私たちに音楽を届けるわけではありませんが、企画運営という大変な役割を担って関西の音楽を盛り上げてくださった松原さんの訃報。悲しかったけど、それよりも「ありがとうございました」の気持ちの方が強くて、知らない人の強い想いで、ライブハウスで良い音楽を浴びて歌って踊って、生きる活力を得ていたんだなと痛感しました。

松原さんは、癌とも、辛い抗癌剤治療とも戦った人です。そして、負けそうになる自分とも戦いながらも、最後の最後まで音楽のために動き続けた人。「身を削る」という言葉はなんとなくピタッとこなくて、「音の楽しさ」を与えるためにこの世に生を受けたのではないかと私は思っています。

前日までSNSの更新をされていたし、亡くなったあとにはお母様宛のブログを更新されてほろほろ、「LUNASEA」をパロッた「MUNASEA」の時の画像が訃報ニュースで使われてて思わず笑ってしまったり、最後の最後までたくさんの人の感情を動かし続ける方でした。

最期まで癌と闘い、命の火を燃やされた松原さんと、似ているようで対照的なのが、前にも記事にさせていただいた森本さんでした。森本さんは、癌に抗う道を選ばず、自然の中で、自然なままに、穏やかな時を過ごして、長い年月をかけて創り上げた伝統の森の中で最後まで「いい布」を作り、村の人たちの生活を守るために奔走されていました。こんな風に生きられる核が自分にはあるだろうかと、生前の森本さんを思い出して今も考えます。

松原さん、楽しい時間を、良い音を、最高の感動を、ありがとうございました。森本さん、いつも一歩前に進む勇気をもらったのは森本さんの温かくて優しい一言でした。私も森本さんみたいにしなやかな人間になりたいです。

癌になったときの選択肢

佐藤秀峰さんの漫画「ブラックジャックによろしく」をご存知でしょうか。高い志を持って医学の道に進んだ研修医の斎藤くんが、制度や法律、利権、家族の問題など、医療の現場のタブーにぶつかりながら成長していくストーリーです。

この漫画の中で一番心を打たれたのが、膵臓癌のステージⅣが発覚した女性と、それをとりまく様々な問題について描かれているストーリーです。胃がんに使える薬が膵臓癌には使えないという日本社会の制度上の問題(利権がちらり)、奥さんに告知するかどうかで悩み死と生の境界線がわからなくなる旦那さん、そして母の死が近いことを知らされて受け入れられず非行に走る子供たち・・・。本人に告知するかどうかで旦那さんが悩みに悩むシーンで、この漫画の主人公で研修医の「斎藤くん」が旦那さんに言うセリフがぐさっと刺さります。

「このままじゃ辻本さんは・・・自分の死に何の感情も持つことができません・・・悲しむ事も絶望する事も・・・死と向き合う事も・・・全てを告知した後で何が起きるかは分かりません・・・だけど何かは起きるんです・・・何かが変わるなら・・・告知に意味はあるはずです・・・・!」

今は「癌の告知」が一般的になっていますが、この漫画が描かれたのは数年前。まだそうでなかった時代の「告知するかしないか」という大きなテーマについてもリアルに描かれています。

その後この患者さんは胃がん患者を装って膵臓癌には使えない薬を使う・・・という、漫画らしいストーリーを辿っていきますが、そこに行きつくまでには「生と向き合うことは死と向き合うこと」という斎藤くんの言葉に心を打たれ、「がんから逃げたくない」と未承認薬を使う決心をする患者さんの姿があります。

「残されていく自分や子供には時間がある、何年かかったってお前の死を乗り越えていこうと思う。だけどお前は死ぬ。もしもお前が自分の死に悔いを残したらオレにはどうすることもできない。」

「自分の死なら自分でなんとかできる。だけど残ったあなたたちの気持ちを私はどうすることもできない」

癌患者と旦那さんは、お互いを想いやり、子どもたちとの最後の夏休みを精一杯過ごして、静かに亡くなっていきます。

その後、斎藤くんはカンファレンスで「がんは人と向き合い、残していく人たちに別れを告げる時間のある病です」という言葉を残していました。そうか、そんな風に捉えることもできるんだな。私は、もしも癌になったら、どう向き合い、どう別れを告げるだろう。

NASAの考える「家族」の定義

『ブラックジャックによろしく』で描かれたこの膵臓癌患者とその家族は、愛に満ちていました。患者さんを「可哀想な人」「頑張らなければいけない人」にしようとする人は居らず、ただまっすぐに生と死と向き合い、それぞれが答えを出して進んでいたからだと思います。

幡野さんの著書の中で初めての学びだったのが、NASA(アメリカ航空宇宙局)の家族の定義でした。家族は大きく「直系家族」と「拡大家族」に分類され、宇宙飛行士の家族はどちらかに分類されて異なるサポートを受けることになります。シャトル打ち上げにはどちらの家族も呼ばれますが、特別室に入れるのは直系家族のみ。

では直系家族と拡大家族の違いは何かと言いますと、直系家族というのは①配偶者、②子ども、③子どもの配偶者、の3つのみなんだそうです。親も、祖父母も、兄弟も、「拡大家族」に分類されるのです。自分で選んだパートナーがファミリーの最小単位だとする考え方です。

人の生きづらさは何から生まれるか。それは、「自分で選び取ることができないもの」。その不可抗力によってときに傷つけられ、虐げられ、自分自身を偽り、気持ちに蓋をして生きてきた人たちを、幡野さんは自分自身の体験と取材から語られています。だから、もしも『ブラックジャックによろしく』に登場していた膵臓癌の患者さんが、親や兄弟、友人、つまり「拡大家族」かそれ以外の「他人」に、可哀想な人・頑張らなければならない人にされていたら、前向きな闘病生活、優しい母親の姿、死を受け入れて子どもたちとの最期の時間に命を捧げる強い心は、無かったのではないかと思います。

今居る”点”の先は自分で選びとることができる

NASAの定義によると、家族というのは血縁関係によるものではなく、自分で選んだパートナー、そしてその子どもたちのことをいいます。とはいえ、何も無いのに突然血縁者との関係を断ち切ったりするのもなんだか違うと思っていて。もしも、自分や家族に”何か”あったときに、自分の大切なものを守るために考えるべきことなのかなあと、この本を読んで感じました。

私の祖父母はみんな亡くなりました。周りの人たちがたびたび入れ替わる病室で、普段あんまり見舞いにも来ない孫が来たときにはしわしわの顔を最大限しわくちゃにして笑ってくれたのを思い出すと、私は祖父母に選んでもらった人生の一部だったのかな、と、この本を読んで思うことができました。職人として生きてきた祖父が、麻痺で思うように動かない手を一生懸命使って、病院食のパンをちぎって半分くれたこと。アルツハイマーの祖母が、私の名前すら思い出せないのにピアノの音には心地よさそうに耳を傾けてくれたこと。日に日に小さくなっていく彼らを見て「早く元気になってな」の言葉が喉でつっかえて出なかったこともあったし、私の誕生日の前日にどんどん遅くなっていく心拍数のモニターを見て、命の始まりと終わりを見たような気持ちになったこともありました。その後、からからの骨を骨壺に移しながら、本当に居なくなったんだなあって、実感して。でも、もうこの世に無い命だとしても、選ばれた。みんな、誰かに選ばれてここに居るんですよね。

この著書の中では、拡大家族との血縁関係という呪縛が人々を苦しめるという側面についてかなりリアルに描かれていましたが、同時に幡野さんの直系家族への大きな愛も感じられます。自分は直系家族を選ぶ立場であると同時に、既に誰かに選ばれて今を生きているんだと思うと、丁寧に、大切に生きなければと背筋がしゃきっと伸びるような気持ち。

選んでもらったからこそ、私も大切な人を選んで丁寧に生きるんだ。今立っている点から先は、自分自身で選んで生きていく。そう簡単にはいかないかもしれないけど、何様だって思われるかもしれないけど、その気持ちは忘れずに居たい。

死を選ぶということ

それから、この著書では、安楽死についての肯定的な意見も書かれていました。偶然数年前に自分のブログで取り上げていたのですが、その時自分で書いた「自殺者の40%が健康を理由に自殺している」という日本が抱える問題を変えるのは、安楽死ないし自殺幇助の制度化ではないかと私は思っています。駒沢丈治さんという雑誌記者の言葉をお借りすると、「死を望む人に生を強要する権利は、誰にも無い」と。私もそう思います。外国人に対してそれが制度として認められているのは、日本から遠くスイスなので、自分が自殺幇助を選ぶときにスイスまで行ける体力、気力、経済力が必要になります。それでも、登録している人が居るのも事実。

最近も、ネットのニュースで、性暴力を受けた苦しさから長年解放されずこの制度を使って死を選んだ人の事を知りました。死を選ぶことは簡単なことではなくて、でも生き続けることも難しい病や経験があって。「死を選ぶ」という同じ事なのに、ベッドの上で人に見守られながら穏やかに逝けることと、恐怖や絶望を抱えたまま誰にも分かってもらえないまま力づくで命を絶つことは、全くの別物です。

前にブログで取り上げたとき、私は日本の終末医療自体をネガティブに捉えていて、「もし私が助からない病気になったらすぐさま自殺幇助の申し込みをしよう」なんて考えていましたが、あれから6年経って、JICA協力隊の仲間の”看護観”を聴いて考えが変わりました。「こういう想いで接してくれる人が居るなら、病院でゆっくりと死に向かう時間も幸せなのかもしれない」と。でも、こうやって簡単に気持ちが変わったように、ずっと苦しまなければならないような病と対峙することになったときどう考えているかは今の自分にはわかりません。

どんな手段を使ってでも生きていたいという気持ちと同じぐらい、延命措置をせず自分の命を自然なまま終わらせることも認める、そうやってあらゆる人の生や死に対しての考え方と人としての尊厳が、命が終わる瞬間まで守られる、いつか、そんな社会になったらいいなあと思います。お金にならないことってなかなか動かない世の中ですが、いつか。

この本と出会えてよかった

「がんです。」「がーん。やっぱりそうだったのか。」

こんなコミカルな語り口で始まったのに、患者と家族の心を蝕むリアルな闘病生活や、切っても切れない関係に苦しめられる人々の苦しさ、自分の尊厳のために死を選ぶ覚悟、残される家族への愛、いろんな視点で描かれる生と死に夢中になり、水をがぶがぶ飲み干すみたいに読んでしまった一冊でした。

今私が居るラオスは、発展途上国。カンボジアで生活していたときも感じていたことですが、誤解を恐れずに言うと、発展途上国の命は先進国に比べてとても軽く感じます。日本だったら治る病気で亡くなっていく人たちや、日本だったら産声を上げられたはずなのにそれができなかった赤ちゃんの話をたくさん耳にします。私は医療隊員ではないので、直接関わることはありませんが、自分の活動でほんの少しでも生活が豊かになり、それが生を、死を、尊厳を選び取る権利に地続きで繋がっていくならば、よし!やるぞ!という気持ちも、湧いてくる、・・・ような。ような。

命の火が消えるまで癌と闘いながら仕事をし続けたカミコベ委員長の松原さん。癌なんだよハハハ、余命5年と言われてね、と、闘うのではなく自然な命の終わりを受け入れて、カンボジアの布を選んで生き抜いた森本さん。癌を宣告されてからたくさんの人と向き合い寄り添って、自分の人生を選び、自立して生きる幡野さん。

自分の人生の終わりがすぐ先に見えてしまったとしたら、一体どんな選択をするか、今の私には想像もできませんが、幡野さんの「選べなかった事を、選びなおす」という結びの言葉からは、自分を含むすべての人が持つ権利、そして個人個人が生きやすい社会を作っていくための基盤になる考えなのだということを教えていただいたような気がしています。

幡野さんと同じ境遇で悩む人だけでなく、なんか生きづらいなと思っている人にも、なんか生きづらそうだなと思う人が居る人にも、生きるとか死ぬとか一体なんだろうと思っている人にも、何にも考えてない人にも、読みやすくて、いろんな気持ちが残る一冊です。ぜひ。

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