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ラオス渡航が気づかせてくれた宝物。

朝、目覚めると見慣れた天井が私を見下ろしていた。

寒さから布団を剥がしたくない自分に、日本に帰ってきたことを自覚させられた。

そうか、私は今自家に帰ってきたのだ。

朝起きてすぐに暖かい空気を身にまとい、澄み切った青いメコン川を見にいけないことに少し寂しさを覚えた。

たった10日間、されど10日間のラオス滞在で、あの美しい自然に知らず知らずのうちに魅了されていたのだ。

豊かな自然

しかし同時に、私を大きな安堵感が包んでいた。必死に頭を働かせて少ない語彙で英語やラオ語を使わなくても、生野菜や生焼けの肉などが無いか気を張らなくても良い生活は心地よい。

そんな心地よさから慣れない土地での慣れない生活が自分にとっていかにストレスだったのか気づいてしまい愁嘆した。

布団から体を起こし、暖かいご飯とお味噌汁を準備する。冷たいシェイクを片手にクレープを食べる日々は過去に置いてきてしまった。

過去といえば、授業準備に費やした日々を想起する。大学を選ぶに際して国際協力を学べることを第一条件に挙げていた私は、授業外でも自分なりの支援を形にするべくボランティアサークルに入ることを決めていた。

少人数で、継続支援を大切にしていること。
現地渡航に重きを置いていること。
授業を通して考える力をつけて貰えるようにしていること。

それらに惹かれて入ったこのsungに私が貢献できることはたったの1つでもあっただろうか。

班ミでは中々自分の意見を言うことができなかった。話せば話すほど自分が浮世離れしていることを自覚した。
全体ミーティングではよりそれが顕著になり意見を出すことが怖くなった私は、ついぞ口を開くことはなかった。

それでも授業で子供達に身につけてもらいたいことは何か必死に考えて、考えて、考え続けてきた。

できないことの方がずっと多い私を、他の人と対等に扱い、暖かく迎えてくれたsungの人には感謝してもしきれない。

渡航の前までモヤモヤが続いた。sungの一員として名乗る資格があるのかわからなかった。ラオスがどんな場所かわからずに行くのが怖かった。

家族と過ごさない初めてのクリスマス。私は不安を抱えたままラオスに向けて出発した。不安を増幅させたのは、トランジットの失敗から14時間のバス旅を経験したからだ。

14時間運んでくれたバス車内


渋い反応をする自分と、これが旅の醍醐味だと楽しげなメンバーとの対比は、より自分の負の部分を感じることとなった。

そんなブルーな気分から始まった渡航はメコン川を見て一変した。ブルーはブルーでも自分を肯定してくれるブルーだ。

青いメコン川


初めから色々ありすぎて忘れかけていたが、本来の目的である活動が始まった。
小学校に着くと、そこにあったのは歓迎の2文字。腰の高さくらいの幼き子どもたちが列をなしてキラキラした顔を向けてくれる。それだけで、私はここにきた甲斐があったと思った。
まだ挨拶に来ただけの私たちに遊んでほしいと言わんばかりのテンションの上がりよう。


花束を持って待ってくれていた子どもたち

そうか、難しいことばかり考えていたけれど、子供達の笑顔を増やすために、子どもたちの笑顔になれる瞬間を作るために私はボランティアしているのかもしれない。
笑顔という世界共通語を通じて同じ時を過ごすこと、そのことの尊さに気が付けた。

実際に授業が始まると、驚いたことがある。子どもたちの積極性だ。小耳に挟んでいたものの、こうも反応が良いと自分の番が楽しみになる。耳を傾けて、目を輝かせ、手を動かす。人種も、年齢も、性別も何一つ関係ない。

子どもたちは皆、学ぶ楽しさに飢えている。

⚪︎×クイズに正解して喜ぶ子供たち

遊ぶ時間になると、言葉の通じない突如現れた私に優しく手を差し伸べてくれた。言葉が通じないことを悔やむのではなく、言葉が通じなくても遊べる方法を次々と生み出す子どもたちの姿からあることに気がついた。

確かに勉学的な意味合いでの主体的に考える力はまだ弱いかもしれない。しかし、生活の中で誰かを思い、共に時間を過ごすために主体的に考える力はもうすでに備わっているではないか。

私たちが何かをしてあげなくても、もう既に持っていることを子どもたち自身に気づいてもらう。それも一つのボランティアのあり方であろう。そう考えた時に高学年班の授業を鑑みる。

「すでに持っている宝物に気づいてもらおう」

授業のために掲げていたこの目標は、意図せず別のところでも達成されていたのかもしれない。

渡航前までに考えていた私の中の支援の正解。それは中長期的に共に成長する仕組みを作ることである。

それは今でも変わらない。自己満足ではないボランティアなど本当はどこにも存在しないのかもしれない。それでも、小さな自分が、たったの一つも貢献できなかったかもしれないと悩んだ自分が、子どもたちの笑顔を作る一翼を担えていたのであればそれだけで自分の存在を確立できる。

ラオス渡航を振り返り、常に自分の当たり前に身近にあったものの尊さ、ありがたさを痛感した。

14時間かけた陸路をたった1時間で運んでくれる飛行機。
暖かい料理と「おかえり」の4文字がある実家という空間。
私立の大学で、自分の学びたいことを好きな様に学ぶことができている今の生活。

日本にいる時は足りないことばかり目についていたけれども、私の中にも沢山の宝物があったのだ。
ラオスの子供達がその宝物に気づかせてくれた。

そんなことをブルーな空を見上げて考える。
私は今日本にいるのだ。しかし、あのラオスで見上げた空と一続きの空の下で、である。

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