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ラオスロックダウンも変わらぬ村人の暮らしに感じたこと

ラオスは密入国者から感染が広がったとして、5月の頭からロックダウン。昨日再延長が発表され現在もロックダウン中。
と言っても感染者は総合で1500人程度。
ロックダウンがいいかどうかは別にして、有事の時の対応の早さは独裁政権というものは非常に強いものだと感心します。

ロックダウンは是でも非でもない

さて、そんなラオスは南部の村でもロックダウン・・・・
感染者はこの辺りは一人もいないけれどロックダウン。
私の農場からは市場へ行くのも検問があるし、村の食堂はしっかりしまっている。日用品の買い物はロープを貼って、店内に入らずにあれくれこれくれとロープ越しに話して買う現状。

日本だったら是だ非だと討論が巻き起こって、ワイドショーが訳もわからない煽りで大騒ぎする状態だろう。

そんな現状、村の生活はどう変わったのか???

というと、何も変わらない
彼らの日常は、もともとほとんど家と農場の行き来に限られている。
町場へ出かけることはほとんどなく、市場ですら滅多にいかない。

お店の人も「商売上がったりだ〜」
なんて言ってなくて、それならと農場へ出かける。
仕方ないさと現状を受け入れているようだ。
そして、誰も不平不満を言っていない。

彼らは何も変わらぬ日常を淡々と過ごしている

だから私もじっと農場の中で草を食べて過ごすことにした。外国人だから特に知らない人が見ると不安に思うといけないし、農場には食べるものが色々あるので外に出ずに済むのは幸いだ。

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一つ変わった事というと、ブラックジョークが増えた事だ。
コホンとちょいと咳をすると、
「2m!2m!」
とお互いに言い合って茶化しあってる。
まるで小学校の頃のはしゃぎ方を40前後の大人でやり合っている。何とも微笑ましい風景。
私も混ざって「ソンメソンメ(2m〜2m〜)」

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村という小さな単位で生活する事

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もちろん私たちはもう、こんな小さな単位での生活はできないと思う。
それくらいモノとコトに溢れた生活を送っているからだ。
それは何も悪いことではなく、素晴らしく発展した豊かさなんだと思う。
私も最近、ネット注文でピザとお好み焼きを腹一杯食べる夢を見て、やっぱりその便利さ・豊かさを感じたところだ。

(まぁ夢の中なので、起きてからその差に愕然とし、お好み焼きも結局食べれなかったのですが:;笑)

一方、小さい頃から村という小さな単位で生活している彼らの生活もまた、豊かな暮らしなのだと気付かされる。

大きな快楽もないけれど、その分大きな落胆もストレスもない。
日々淡々と暮らす。

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大切なのは家族が幸せに生きていること。

母親が笑顔でいること。

子供が元気に育つこと。

そのために、食べるものを作り、野山に出かけ山菜や木の実などの食べ物を収穫する。家の中ではお母さんの隣で遊んだり、真似をして家事を手伝う子供の姿がある。

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スタッフの家族も子供を連れてよくこの農場にやってくる。
そして一緒にご飯を食べている。
何も特別なことではなく、本当に当たり前の普通の暮らし。

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私たち人間は、
本当は半径1km程度の圏内で生きていけるんだ。
私は勝手にそう実感する。

豪華な食事を食べなくても、
綺麗な服を着なくても、
仕事が何もなくなっても、
遊園地に行けなくても、
私たちは幸せに暮らしていける。
そんな能力が人間には備わっている。

このギスギスした世の中で、
ついつい不安になって、
不満が爆発して、
無いことに目を向けてバツを打ちがちだけど、
そして私もついついバツをつけてしまうけど、
周りを見渡したら、"マル"がいくつもあるだろう

と、こんなことを言うと、
「あなたはラオスの農場にいるからだ!」
なんて言われるだろうか?
でも、どう見繕っても日本の方がマルをいくつもつけれるだろう。
ここは、思っているより何も無い。

ボタン一つで何も届かない。
市場にすらいけない。
調味料もろくに無いから、味付けはいつも同じ。
娯楽は一切ない。
カフェなんてとんでもない。

でも、ここには優しいスタッフがいる。
自然の食がいただける。
知らない草をいただける。
昆虫が美味しいんだって気付かされる。
朝日と夕日を感じることができる。


何にマルをつけて、そこに感謝し日々生活できるか
そんなことが大切に思う。

そもそもマルもバツもつけず、彼らのように淡々と過ごせればいいのかもしれない。
でもまだ私はその領域にはいけていない。
だからここにあるいっぱいのマルを感じながら過ごしてみたいと思う。

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