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ネパールの多様性とネワールのプライド*カトマンズ世界遺産1dayツアー感想

ネパール滞在5日目、カトマンズ盆地の世界遺産4つを巡る1dayツアーに参加した。

1日でスワヤンブナート、パタン地区、パシュパティナート、ボダナートをまわる。

全体的な感想としては、ネパールの世界に誇る文化(建築)が「色鮮やかな習合と、気が遠くなるほど緻密で美しいデザインが施された木で出来ている」ということ。

一つ目に訪れたスワヤンブナートは、ネパールの「色鮮やかな習合」を具現化したような場所だった。

タルチョで彩られた寺院

スワヤンブナートは9世紀ごろに建立されたと言われる寺院で、敷地内には色鮮やかなタルチョで飾られた仏教建築と、パッと見「仏様」に見えてしまうような神様のデザインで飾られた煌びやかなヒンドゥー寺院が共存している。

五重塔のようなヒンドゥー寺院
神様。仏様にも見えるような、、、

それこそ、ネパールより西から訪れた人にとっては信じがたい、理解しがたい光景なのだろうけれど、仏壇と神棚が同じ部屋にあるおばあちゃんちに慣れ親しんだ私からすると、感覚的には親近感があった。

二番目に訪れたパタンのダルバルスクエアは、文字通り「気が遠くなるほど緻密で美しいデザイン」に溢れる、美術館のような宮殿だった。

王宮の一角

ここはマッラ王朝時代に栄えた三都市のうちの1つ、パタンの王宮があった場所で、王宮の力をふんだんに注ぎ込んだ、豪華絢爛なデザインの木造建築がたくさん見られた。

東京からカトマンズに向かう飛行機の機内食で知り、絶対にホンモノを見たいと思っていた「Hitti」という水道設備(?)も見ることができ、大満足だった。

特に印象的だったのは、Hittiを用いた王の入浴施設の目の前に「瞑想台」があったこと。

Hitti
瞑想台

最近欧米では何かと”meditation"が流行っていて、日本ではサウナに入って「ととのう」ことがブームになっているわけだけれど、パタンの王様がこの露天風呂で身体を温め、ここで外気に当たりながら瞑想に耽っていたと思うと、Old is gold を感じずにはいられない。

そしてこの日のお昼はパタンのレストランで、フィッシュカレーのダルバードを食べた。

これにヨーグルトのデザートがついて1000円くらい。
かなり観光客プライスだけど、絶品だった

ダルバードとは、ネパールの定食のような料理のこと。カレー、ダルスープ、ピクルスやその他色々のお惣菜がお米の周りに配置されていて、好きなように混ぜながら食べる。

ひとつひとつのお惣菜がスパイスたっぷりで、それだけで食べてもとても美味しいのに、全てぐちゃぐちゃに混ぜて食べても個性がぶつかり合うことなく、さらに美味しくなる不思議な料理だ。

ごちゃまぜAs you wish


3つ目に訪れたパシュパティナートは、非常に強烈で、印象的で、神聖な場所だった。

火葬の様子

私はこの場所で、生まれて初めて”他人”の葬式、そして死体を見た。

そこに観光客が集まっていて、公式に撮影も許可されているというのが、「死」を公に見せない(ケガレと扱う)日本人の私にとってはとても新鮮で、良いと言われても他人の火葬の様子をカメラに収めるというのはすごく強烈な、まるで何か悪いことをしているかのような感覚だった。

4つ目に訪れたのはボダナート。
ここは中国からのチベット系移民増加に伴って、世界最大級のチベット仏教聖地となった場所。

夕暮れのボタナート

入口のゲートの前の道からとんでもない人込みで、ちゃんとお寺を見られるのか心配だったけれど、ゲートを抜けると、人波は自然と時計回りになり、その波に乗ればゆっくりとお寺を味わうことができた。

参詣者は、いわゆる"平たい顔"の人が多い

ストゥーパの周りにはお土産屋さん(特にタンカを扱うお店が多い)、カフェ、レストランがひしめき合い、朝から夕方までいても楽しめるような、表現として適切かは置いておくとして、ショッピングモールのような空間だった。

そんなお店に紛れるように、著名なチベット寺院が3つくらいある。私はそのうちの2つを見学した。

煌びやかな内装
異空間のような、親近感を覚えるような、、、

寺院に「建物の中でお参りする」という点で、ネパールの仏教寺院(ストゥーパ)よりも日本のお寺に近いような親近感がありつつ、極彩色の壁紙や僧自身を拝む雰囲気が強いところはちょっと理解しがたくて、不思議な感覚だった。

タンカの教室も見学しつつ、日が暮れ始めた頃、私とガイドさんはとあるカフェに入った。

別にそのカフェが有名だとか、特別魅力的だったという訳ではない。

Aartiが見たい、という私自身の強い希望で、18時過ぎにもう一度パシュパティナートに戻るプランを組んでもらっていたので、時間つぶしにとりあえずカフェで少し休憩しようということになったのだった。

お邪魔したカフェで出てきた、お高めのアメリカーノ

ルーフトップよ、とガイドさんはオススメしてくれたものの、なるべくローカルなお店に行きたい派の私的には、100%観光客しか入らないだろうお店に半ば強制入店させられたことがちょっと渋かった。

お店が渋いのと同じくらい、ガイドさんと何の話をしようかな…という不安であまり気が進まなかった。

この日のガイドさんは、40歳くらい?の女性。
行く場所行く場所ですごく丁寧な解説をしてくださったので、ガイドさんとしてはとても印象が良かったけれど、面と向かって話すとなるとちょっと話題に困る、、、

結局ガイドさんとはすごくプライベートな、仕事とか家族の話をした。

ガイドさんのお話の中では、娘さんの話が特に印象的だった。

娘さんは今受験生で、看護系の大学を受ける予定だけど、もし大学に落ちてしまったら日本で働きたいと言っているそう。
そのことについてガイドさんは"I would respect my daughter's decision but I'm not sure about this. In Japan, life could be wealthy but harder. Here we are poor, but life is much easier."と話していた。すごく刺さる表現だった。

私の目に映ったネパールの日常

そして私はせっかくガイドさんに丸一日ついてもらってカトマンズを観光したのだから、、、と思い、ネパールの歴史をもう一度教えてほしいとお願いした。

マンツーマンでネパールの歴史を復習してもらっている途中、私はずっと気になっていたことを聞いた。

「カトマンズ盆地にある、カトマンズ、パタン、バクタプルの3大都市はネワールの人々(王朝)によって建てられたんですよね?それなら、どうして今のネパールではネワール語ではなくてネパール語が公用語になっているんですか?」

そこからガイドさんは、ネワールが築いたリッチャヴィ朝、それを倒したゴルカ朝のネパール統一から王政崩壊と今のネパールに至るまでをくわしく説明してくれた。

私の問いに対する回答としては「ネパール語はゴルカ朝が用いた言語で、ゴルカ朝が無数の小国を統一したことが今のネパールという国の基になっている。だから今のネパールではかつてカトマンズ盆地で栄華を誇ったネワールの言葉ではなく、ネパール語が公用語になっている」とのことだった。

とても分かりやすくて興味深い講義の最後に、ネワールであるガイドさんはこう言った。

So, this is how Nepal has come to now.
By the way, we have seen four world heritages in Kathmandu today right? 
Interestingly, these all are created in Newal's era. No architecture from Gorkha dynasty is enrolled.
We can see how our culture is superior!

冗談交じりだったかもしれないけれど、強烈で、気高いしめくくりだった。

ネワール人による美しい建築

ネパールには120以上もの民族が共存している。
昨今世界各地で他民族共存の難しさが浮き彫りになっている中で、ネパールのという国家の"共生力"は注目に値すると思う。

私は実際にネパールに行ってみて、これほど多様な民族が1つの国で共生することを可能にしているのは”人々の慎ましさ"だと思った。

「他人とは違うことが当たり前」と思って過ごしていて、自分とは異質なものに対して攻撃的な振る舞い(批判や、相手に不安を与えるような自己主張)をしないことがネパールという国家の和平と均衡を保っているのだろうと感じた。

そんな中でネワール人のガイドさんが、ある意味”部外者”である私に一瞬見せてくれた、青い炎のような自文化への誇りが、忘れられない思い出になった。

ネパールという国は、本当に色鮮やかで緻密でおおらかで、美しい。
そしてそんな牧歌的な印象の内側で、多様な人々の秘められたプライドが強かに燃え続けている。

それはまるでダルバードのような、それぞれの際立った個性が衝突することなく混ざり合う、一口では味わいきれない魅力的な地域だ。


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