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無能に囲まれるキミへ

主語がデカいが、おおよそ会社というところは、何か特別な事をできる必要は無い。会社は、自分で稼ぎを作れない者に、ツールと枠組みを与え、カネを稼ぐ歯車に変えてくれる。

できれば、学歴は、そこそこのレベルで構わないから、あったほうがいい。仕事で今、何をやらなくてはいけないかが解らなくても、テストの問題は回答できるだろう。

人との付き合い方は、最低限でいい。もし、気をまわし過ぎて、お膳立てを出来る人なら、面倒事はすべて、その人に降りかかってくる。気遣いができない方が、仕事は振られない。嫌われない程度に、不機嫌であることだ。

仕事は、軽く遅い方がいい。速ければ別の仕事が追加されるうえに、仕事を終えて定時で帰れれば「みんなまだやってるのに?」と後ろ指をさされ、仕事が遅い者に歩調を合わせなければいけない。

壊滅的に仕事ができないか学歴が低いと「バカ」判定になるが、ほどほどに言われた処理ができて、多少の学歴があれば「マイペースな人」になる。その実どっちも変わらないのだが、レッテルさえ貼ってもらえれば、無能な人はそれ以上考えようとしないから、便利だ。

無能な人たちは、有能な人が何をやれているのか、解らない。だって無能だから。目にに見える結果が出ても、有能な人の成功は、そのひとの努力ではなく、多くの他の偶然が重なったに過ぎない、自分にはその偶然が来ていないだけだ、と、のたまう。

無能な人は、注意を聞かない。さらには「自分だってできてないじゃないか!」と反論する。つまり、無能を注意できるのは完ぺきな人間だけだ。だからキミは無能を注意する必要はない。

無能な人たちは、平等を叫ぶ。有能な人が早く帰るのはズルい。不平等だ。
有能な人が、良いポジションを得るのはズルい。義務は果たさないけど、権利は盛って主張する。


こういう思いは、他者に評価してもらえない。自分の置かれている状況を100%認識してもらうには、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀の制作チームに来てもらうしかない。運よくキミの周りの無能者がそれを1時間しっかり見てくれれば、スガシカオがかかって、ようやく、大変だったんだね、となるが、多分、来てくれないし見てくれない。

つまり、キミは無能であるべきだ。有能であってはいけない。

……ってなるなら、キミは有能ではないことになる。無能チームの上の方ってだけだ。

キミが有能なのは、キミがキミの人生において、この無能者たちのジレンマ経験が必要だと、キミの魂にジャッジされたからだ。

体を壊さない程度に、キミは有能であるべきだ。面白くなってくるのは後半。このゲームから今降りるのは得策ではない。

適度に逃げ、適度にかわしつつ、長いラウンドを戦える体力とスキルつけていく。以前、理不尽だと思っていたことが、適度にさばけるようになってくる。

自分は他者に何を与えられるか。構える必要はない。キミが自然体+機嫌がいい時はちょい足しで、無能な者たちにキミの脳力の成果を分け与えるべきだ。

無能者がカネをたくさんもらうのはズルい、って考えるのは間違っている。それではキミも彼らと同じだ。いくら点数を稼いでも、途中で投げ出せないのがこのゲームだから、カネというスコアではなく、どうクリアするか。

このゲームの終盤、キミはチートファンタジーの主人公のように、他を圧倒するだろう。周りはただでさえ無能の上に、何もスキルを重ねていないのだから、当然だ。しかしキミは自分のスキルに気づかないだろうが。

このゲームの思い出が自分にとって、充実したものになるか、無能者と同じように有能者に乗っかって暮らしたハイスコア記録になるか。

ジャッジは自分の魂だ。